展示

やっと終了です
文芸祭2020の展示を終えるまで、
大変でした。
後は9月末までの展示です。
大体思った通りの展示になりました。
ゲストのデザイナー、ムラヤマ負債の作品も、
花を添えています。
おいおい内容は説明していきたいと思っていますが、
今はとにかく眠いのです。
失礼しました。
802.jpg805.jpg803.jpg804.jpg

パソコン

パソコンが
全くいうことを聞かなくなって、
お手上げ状態だった。
何をしても反応しないのでは、
諦めるしかない。
修理屋さんに連絡してから、
暫くはオフタイム。
こうなると、
もう生ける屍みたいなものである。(ああ~)
定年退職以来、
私の余生を担ってくれているのが、
パソコンであることを思い知らされた一軒だった。
深夜二時半過ぎ、
ようやくパソコンに向き合えた。
日常を取り戻したのである。(観劇)

31日に図書館で展示する資料の準備が、
ほぼ片付いた。
こちらもパソコンが必須。
いやはや間に合って安堵の胸をなでおろした。(ほ~う)

ハードディスクわ.jpgハードディスク.jpg

お風呂タイム

どうもパソコンの具合がよくない。

酷暑の影響か、
はたまた寿命かな。
どちらにしても、
私の生きがいが脅かされてしまう。
買い替えなどまず無理な経済状態。
ああ~、また私の人生終着点へ一歩進むのか。(笑)


朝9時、
ようやくパソコンが渋々反応してくれた。
昨日深夜のことを描いてみよう。
深夜二時、
寝静まった中、ようやく入浴。
いい気分である。
結婚した当初は、
妻の差配で、
私が一番風呂だったが、
いつごろからか、
しまい風呂に回されてしまった。(笑)
多分、
娘らが高校生になったころだな。
汗と埃にまみれた父親は、
しまい風呂で結構ということだ。(まあいいか)

そうそうそれで思い出した。
子供のころ、
父親と一緒に風呂に入った記憶がない。
いつだって母や兄と入っていた。
頭を洗ったり、背中を流してくれたのは母だった。
学校での話題を聞いてくれる母の笑顔が、
いつも傍にあった。
父と息子が風呂に浸かり、
荒っぽく頭や体を洗ってくれる父の姿は、
我が家にはなかった。

成長して分かったが、
父はひどい痔を患い手術をしたものの、
肛門の筋肉に後遺症が残っていたらしい。
だから必然的にしまい風呂を使うしかなかったのだ。

後年、老いた父を温泉に誘い、
一緒に浸かったが、
すまなそうな父の顔を思い出す。
衰えが隠せない背中を流しながら、
父の生きざまを想像したものである。

いま私は父と同じしまい風呂で、
気分よく鼻歌を歌っている。

お風呂タイム.jpg

雀脅し

暑い日がまだまだ続く。
熱帯夜で寝られないのに、
いきなり「どーん!」とどでかい音が。
いくらわかっていても驚く。
「イノシシなどの害獣を脅すために、
鳴らしますという注意が回覧板で回ってきた。
田んぼの稲が穂を出す時期に、
イノシシのファミリーが飛び込んできて
田んぼを蹂躙すると、
もうコメは諦めることになる。
その被害をなんとかしようという農家の策なのだ。
効果がどれほどあるのか知りようはないが、
毎日「ドーン!ドーン!」
最初のころは花火と間違えて、
遠くの夜空を見上げたものである。
そうだそうだ。
子供のころ、
竹筒を利用してカーバイトを爆発させてたっけ。
あれはイノシシじゃない、
雀を追い払う百姓の真剣勝負だった。
8月の暑い時期だったっけ。
若穂が出そろった頃に、
スズメの大群がワーッと飛んできて、
食べまくるのだ。
イノシシ以上に厄介な小鳥に、
カーバイト爆発を利用した雀脅しで、
対抗したものだった。
田んぼを見渡せる藪や丈の高い雑草の陰に隠れて、
何度も何度も爆発音を立てたものだった。
勿論子供も駆り出された。
兄は音を気にすることもなく、
面白がってやっていたが、
オビンタレの私は、
「ドーン!」となるたびに耳をふさぎ、
首をすくめた。
いつも現場にいたが、
結局役立たずだったのではなかったか。(役立たずでした!ハイ)
すずみ.jpg

ひと区切り

「ふるさと川柳IN加西」の、
市民の投票により決定した入賞作品。
各入賞者へ賞状と副賞の郵送を済ませ、
入賞作品をねひめ広場でパネル展示。
9月半ばまでの公開をスタートさせた。
入賞者からの礼状もいただき、
コロナでやむなく延び延びになっていた、
ふるさと川柳企画のゴールを
無事に迎えられそうで、
ホッと胸をなでおろした。
次の企画、
「男性のための料理教室」の、
シュミレーションに向けて用意を始めた。
レシピの検討も進み、
具体化のため経費計算も……(これが一番難しい)


玄関前の朝顔が、
一時花も終わりと思わせていたが、
また一斉に花をつけていたのでパチリ。
かやっく202.jpgちらしまう.jpgカヤック303.jpgカヤック101.jpgIMG_20200825_093950.jpg

ハッピーバースディ

娘が珍しく台所に立った。
誕生日の料理を作ると意気込んでいる。
妻の誕生日だった。
せっせと何かを作っていたが、
声がかかった。
お手伝いの指示である。
(ハイハイ)
メニューは韓国冷麺と春巻きにサラダ……。
滅多に料理をしない娘は、
外食で美味しあったものが
手っ取り早いのだろう。
面をゆでろという。
お言葉に従いながら、
娘の調理をうかがう。
(ん?)
思わず口出ししそうになるが、
言葉を飲み込んだ。
母の誕生日を祝うために頑張る娘。
自分の思い通りに頑張ればいい。
成功すれば喜び、失敗してら笑い合う。
母と娘の心のキャッチボールを邪魔できない。
それでなくとも普段お邪魔虫扱いの父親だから。
しかし
久しぶりに娘と共同作業できて
幸せを実感する父親になっていた。
クッキング.jpgごちそうさまでした.jpg

久しぶりの雨……慈雨?
思わず感激したものの、
つかの間……いや少しは長かったかな。
雨はひとしきりで降りやんだ。
裏の畑の湿り具合を確かめて、
やはり感謝の思いは強まった。
ゴロゴロと、
雷鳴が近くなったり遠ざかったりを
繰り返している。
慌ててテレビのアンテナを抜いた。
テレビ画面はDVD録画しておいた、
「100日の郎君様」が流れたままだ。
単純明快で、それなりのひねくれた物語は、
みていて嫌な気分になることはない。
韓流ドラマでも、
私にあった物語の展開である。
また雷が近づいた。
首をすくめて部屋の端へにじり寄った。
雷は苦手だ。
子供の頃から怖くてたまらなかった。
「オビンタレ」と両親に言われた由縁でもある。
そんな私を救ってくれたのは、蚊帳……そう蚊帳だった。
「ガラガラビシャーッン!」
どんなに大きな雷鳴も稲妻も、
蚊帳一枚が守ってくれた。
ヨモギ色の蚊帳の中でブルブル震える私に、
「オビンタレやのう、お前は。べっちょない、落ちることはめったにあらへんわいな」」
蚊帳の中へ一緒に飛び込みながら
いけしゃーしゃーと言ってのけた母を想いだす。(ちょっとホロ)
私のオビンタレ、母からの遺伝(?)だった。
本当に怖がりの母、
きっと蚊帳の中で身を竦めていたのだ。
側にいた兄だけが、
能天気な顔でヘラヘラしていたなあ。
勿論父は雷ぐらいで仕事をほったらかしにはしないから、
蚊帳の中で一緒に震えた記憶は皆無に近い。
その家族は、
もうそばには誰一人いない。

雷鳴は遠く遠くでなり終わった。

カヤックフィッシング.jpg

暑さの中カエルが

命に関わる暑さが続いています。
家と外の温度差と言ったら、
昼間の外出は、
二の足を踏んでしまいます。
家の裏手の畑はまだしも、
少し離れた畑には、
なかなか行けなくなりました。
昨日は夕方5時前に思い切って畑詣で。
携行タンクふたつに水を満タンにしていきました。
畑には大き目のポリバケツを地中に埋め込んでいます。
そこへ水を移してためておくのですが、
暑くなると、すぐに使ってしまうことになります。

畑の地表は真っ白に乾燥。
ナスも水不足でシワしわの実です。
おくらや里芋もいきいき吐息といった感じ。
タンクの水を移そうと覗き込んだポリバケツ。
底にわずかな水が残っているだけ。
そして、壁面に張り付いた蛙、干からびています。
水が満ちていた時に入り込んだものの、
水が少なくなるにつれて、
外へ脱出できなくなったのでしょう。
なんとも言えない気持ちで、見つめ続けました。(ホゥ~)

それにしても暑い。
雨の天気予報も訂正されたよう。
大阪方面は大雨とか、羨ましい限りです。
雨あめフレフレ~~
ラグビーわかった.jpg

スイカ

作品S.jpgスイカ.jpg連日の酷暑で乾ききった畑。
スイカの蔓は完全に枯れている。
残しておいたスイカの球だけが、
ゴロゴロしている。(三つだけ)
収穫して切ってみると、
前に焦って収穫したスイカより熟れていた。(嬉しい!)
家族はさほど好きでないのに、
私は大のスイカ好き。
ひとり飽きるほど食べられるのは確実だ。

子供のころ、
夏休み、村の子供たちは常に集って遊んだ。
子供会というわけで、
6年から1年生まで、
勿論ガキ大将がいた。
大人にスイカを子供会にと貰ったら、
ガキ大将が好きなように切り分けた。
誰からも文句は出ない。
自分のあたり分にかじりつくだけだった。

仲間同士いがみ合うことだってある。
4年の兄がガキ大将のいじめの標的になったことがある。
ガキ大将は6年生、しかも体は大きかった。
苛められる兄を見ているうちに、
私の怒りは頂点に達した。
あっという間にガキ大将へとびかかっていた。
しょせん叶いっこない相手だったが、
自分の兄が苛められることに怒りが沸騰した。
どう収まったか記憶は薄れてしまっているが、
兄のために我を忘れてとびかかった記憶は鮮明だ。
きっと兄のことが好きだったんだろうな。
ちなみに兄もスイカは大好物だった。

お手伝い

やはり暑くなった。
畑に向かうが、
パラソルを立てて作った日陰で、
しばし呼吸を整えた。
一気に水やり作業をやってのけるためだ。
目を揚げると周囲の田んぼが視野に入った。
かなり育った苗を押さえつけるかのように、
稗が育っている。
放っておくと稲を超えるほど伸びる。
しかも茎は硬く竹のようになる。
早めに引き抜いておくに限る。
といって暑い中の作業は見てる以上に過酷だ。
現在は除草剤を効かせたりするが、
当時は人海戦術に頼らざるを得ない。
小さな子供だって戦力扱いである。
元よりお手伝いが好きな子供はまずいまい。
嫌々ながら駆り出されながらも、
目の前で汗をだらだら流しながら、
稗取り作業に真剣な親の姿が、
子供の心を突き動かしたりする。
振り返ってみれば大変な時代を生きてきたわけだ。
ただその苦労は大人になってからかなり役立つことになる。

さて「ふるさと川柳IN加西」入選作品尾一覧を作っています。
一句一句を改めて読めば、
作品の良さに気付く。
やはり5・7・5の世界は絶妙と言わざるを得ない。

作品S.jpg作品B.jpg

泳げない

こう暑いと
やはり川や海が恋しくなる。
といっても泳ぐわけじゃない。
チャプチャプと波打ち際で
足を浸す程度でいい。
子供のころからまるっきり泳げない。
小学校で夏になると、
海水浴の行事がある。
学校にプールのない時代だから、
子供たちは大喜びする。
しかし私は逆にしょげる
膿へ行くと、
泳げるものと泳げないものに分けられる。
それが恥ずかしかった。だれも見向きもしない。
海を満喫するのに目いっぱいなのだ。

大人になっても泳げないまま。
そして親になっても変わらなかった。
泳げない親は大変だ。
海やプールへ連れて行ってくれとせがむ子らを、
妻に任せて、
「おとうさん、海が嫌いなんや」「海水パンツ持ってない」
などと弁解していくことはなかった。

子供らは学校にプールがあり、
コーチまで恵まれた子供らは結構泳げる。
そんな子らの前で恥を晒したくない。
考えてみればいろんな理由を作ったものだ。
妻も協力して、
子供の目に、父親のナナヅチぶりを披露せずに終わった。

この夏はコロナで誰も海やプールなど口にする者はいなかったが、
いつかは孫らが「海へ連れて行って」と言い出すかも知れない。
いい言い訳を考えておかなければなあ。(ウン)

またスキャナーの調子が悪い。
スマホで撮ってメールでパソコンに送り込んだが、写りが。悪い
なんとかしなきゃ。
海水浴.jpg

いやはや

ここ二日ほど、
酷暑と多忙が重なり、もうクタクタ。
年令を感じています。
とにかく「ふるさと川柳」の
入賞作品の展示と、
表彰状と副賞送付の手配も済ませて「ホッ」
「根日女創作倶楽部通信9月分も発行にこぎつけ、配布。
9月から始まる文芸祭の準備も最終段階へ。
打ち合わせや何かも続き、
畑仕事もままならず、
雑草だけが勢いを増しています。(ため息)
とはいえ食事作りは手を抜けずという悪循環。

雨雨ちょっと降れ~~♪と
神頼みの心境です。
日々に少しでも潤いを取り戻せたら……。展示さ.jpgならない.jpg

夜はイキイキ

深夜二時前。目は冴えっぱなし。
長い間に身についてしまった習慣は恐ろしい。
夜型人間の兆しが始まったのは高校3年の夏。
アルバイトのおかげだった。
深夜までやっていた本屋さんで、
遠い親戚。
本は好きだったから、
父経由で頼まれて即OK。
しかし、最初は夜10時過ぎになると
眠くなって困った。

就職した後も、
趣味は夜中心の活動。
そして調理師になってからは、
常識的な時間から遠ざかってしまった。
極めつけが、
40代後半から勤めた弁当製造工場。
夕方から朝5時ごろまでの夜勤専従である。
昼夜逆転の生活が10数年続くことになった。
定年退職後も、夜型人間はカイゼンしないまま。

まあ18日は予定がある。
「ふるさと川柳」入選作品を展示披露し、
入賞者に賞状と副賞を郵送しなければならない。
コロナに翻弄された企画に
ケジメをつけると思えば苦にはならない。
それに何かやっていると、
年をとる速度がのろくなる気がする。

次の企画は9月の『文芸祭2020」。
ゲストにデザイナー夫婦の作品出品が決定して、
エンジンフルパワーである。

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うだる暑さの中で

暑すぎる。
昨日は家の中にいても
蒸し風呂状態。
何年か前までは、
暑さを凌ぐのに、
ウチワか扇風機しかなかった。
後はすっぱだかになるだけ。
田舎だから窓を開け放しておくと、
風邪があればかなり温度が下がる。
あれやこれやとない知恵を絞ったものだ。
「熱中症で倒れてるお父さんの発見者になりたくない」
娘の一言でクーラー導入となった。
二年前だった。
それ以降は酷暑がひどくなるばかりで、
タイミングがばっちりだった。
部屋の外に出て少し作業をして、
すぐクーラーのかかった部屋に戻る。
その繰り返しで、
9月に図書館でやる
「根日女創作倶楽部2020文芸祭」の
準備を少し片づけた。
しかし、暑さは尋常じゃないので、
程々に切り上げた。(フゥ~)

大スター渡哲也が死去したニュースを
またやっていた。
私にとってのスターたちが
次々といなくなってしまう。
そんなかで一番ショックだったのは、
緒形拳の死だった。
実は緒形拳に肉筆のサインをもらったことがある。
当時私が所属していたアマ劇団『混沌』から、
別のアマ「劇団姫人座」に客演したのが、
矢代静一の『夜明けに消えた』で主役の青年。
その役を緒形拳がやっていたのだ。
同じ矢代作品『悲しき恋泥棒』公演で
姫路に来られたので楽屋を訪ねた。
気さくに対応に気をよくして、
持ち込んだ写真にサインを頂いてしまった。
その夜
市内のスナックを案内したのは
いい思い出である。
そして、私も『恋泥棒』で
同じ主人公をやることになったのは
偶然とはいえ、今も忘れていない。
もう一度、
あの頃に戻りたいなあ。(笑)
img001.jpgラグビーボールあ.jpg

表彰情報

「ふるさと川柳IN加西」の入選作が決まりました。
東京をはじめ全国から届いた全118応募作品を展示して、
市民の皆さんに投票していただいた結果、
次の通りに決定しました。

大賞  
   さらの中 のこしたパンが かおのよう (佐藤)     佐藤 可菜さん

ふるさと大賞
   夢で逢い 五百羅漢に 母探す              澤中 朋子さん

ふるさと賞
   せんどぶり きのうあったで おじいちゃん        山本 真平さん
   やじ馬が 寄って見送る 救急車             吉村 俊一さん
   取り合えず 返事だけでも 元気よく           増田 ハツコさん
                                     他数作品
18日から、ねひめ広場ロビーで入賞作品を展示披露します。
入賞された方はねひめ広場受付窓口で表彰状他をお渡ししますので、お申し出ください。
展示たち.jpgimg007.jpgimg006.jpg

スイカ

スイカが4個も実がついた。
我が菜園では鈴なりといっていい。(笑)
スイカを植え付けて、毎年食ったことがなかった。
去年は3個の実を付けたが、
ものの見事にカラスの餌食となってしまった。
この夏は、実が目立ち始めたころから
プラスチックの籠をかぶせておいた。
それがよかったのか
バスケットボール大まで育ったのだ。
とはいえ、いつ収穫していい時期なのかが分からない。
取り合えず一番大きいのを収穫してみた。
冷やしておいて、夜一刀両断した。
ざんねん、少し早かった。
それでもうまかった。
丹精して育てただけの味わいだった。

スイカといえば、
子供のころ、
桑原田に広がる畑まで、
兄と冒険を試みた。
本当は青野ヶ原が目的地だったが、
小学生二人の自転車散歩、しかも二人乗り。
桑原谷到達したときは、
夏の暑さにへばりかけていた。
「もう帰ろ、兄ちゃん」
心細くなった弟に、
兄貴面して鼓舞した。
「せっかくここまで来たんや。
もうちょっといったら青野ヶ原やど」
そんなはずはなかった。
強がる兄だってもうへとへとになっていた。
それに自転車のタイヤが変な具合になっていた。
「お前らどないしたんや」
畑にいたオッサンだった。
自転車を手押しする
小学生のへとへと感に気付いたのだ。
「その自転車おかしいぞ。みたろ」
オッサンは畑からわざわざ出てきた。
「チェーンがゆるんでんど。直したるわ」
オッサンは兄の返事も聞かず、
自転車のスタンドを立てた。
手際よくチェーンを調整しながら、
「お前らどっから来とんどい?」
兄が口にした地名に、
「ちっこいのに、そない遠いとっからこい」
「夏休みやし、弟と一緒やし……」
オッサンは口ポカーン。
「おめえらエライやっちゃのう。暑いやろが」
オッサンは作業をやめて畑に戻ると、
「これ食えや」
オッサンが差し出したのはでっかいスイカだった。
真っ黒に日焼けしたオッサンの顔と同じように丸かった。
バカッと割ってくれたスイカにかぶりついていた。
オッサンはゲラゲラ笑いだした。

炎天下での、あのスイカの味は最高だった。
「お前らはよ帰れ。ええ冒険できてたんやけ」
オッサンの言葉にそれ幸いと兄は私を載せて自転車をUターンさせた。

あのちっぽけな冒険、
兄弟が運命(?)をともした冒険は、
オッサンの善意のスイカの味で締めくくられた。

熟れ切ったスイカ、炎天下、兄と一緒……
条件がそろったスイカの味は、
今も最高に思う。

それにしても悔やまれる。
もう少し我慢してれば、
食べ時のスイカにありつけたのに。

誰かスイカの食べごろの見分け方教えて。(笑)
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墓参り

昨日墓参りに行ってきた。
妻と二人きりの墓参。
数年前までは子供らも一緒で
結構賑やかだった。私の母や兄、
そしてご先祖が眠る墓。
父も入るが、
私には別の墓に入る予定だ。

子供のころ、
父や母、兄と家族そろって、
お盆の墓参りが続いたのを思い出す。
いつも神妙に、真面目な顔になる家族。
墓石を水で洗い清める父と母。
赤土を持ち上げた古い墓に、
花を供える兄と私。
なかなか火がつかない線香に、
必死になる兄弟。
花に水をそそぎ、
線香を手向ける。
父が鉦を打ち、
お経を口にする家族。
備えた菓子類を分けてもらい、
やっと顔を綻ばせた兄と私。

墓を後にした時、
緊張が解けた。

今は墓無用論が勢いを増しているが、
墓は家族の絆を永遠にするため、
必須のものなんだと改めて思いながら、
夫婦二人、
目を閉じ頭を垂れた。
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アイスキャンデー

きのうは「ねひめ広場運営会議」の定例会。
夕方7時からだが、
車のない私、
歩くことになるが、昼日中は歩けるような暑さではない。
てなわけで午前中から広場のあるビル内で待機した。
3階に図書館、1階はコープの店舗が占めている。
ビル内はクーラーがかかっているが、
やはり暑さは完全に抑えられないようだ。
コープは涼しいので、
上り下りを繰り返し時間を過ごした。
外の様子をうかがうと、
まるで熱波のように襲い掛かられた。
暑いときは冷たいものを口にしたくなる。
最近はアイスクリームが四季を通じて食べられる時代だ。
昔は夏限定だった気がする。
自転車に木の保冷凍箱を積んで、
おじさんが行商に来る。ああ、そうそう当時はアイスクリームではなく
アイスキャンデーだった。
そのアイスキャンデーも
子供ひとりに丸々与えられたわけではない。
兄とかじり合った。
現在のように子供が一人に1袋おやつが貰える時代ではなかった。
みんなで分け合って食べたものだ。
それでも十分だった。
暑いときのアイスキャンデーは最高だった。
汗も引っ込むぐらいの感動だった。
残った箸を兄弟で競ってなめたのもいい思い出である。(クスッ)

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お盆の光景

暑い!
深夜1時半を過ぎても……暑い!
昔の夏はどうだったんだろう?
クーラーがなかったのを凌げたのだから、
いやいや……。
記憶の暑さとの比較は容易じゃない。
暑い中を、
市役所の「ふるさと広場イベント」担当者が、
我が家へやってきてくれた。
「ふるさと川柳IN加西」の表彰云々や
次の企画「男性の料理教室」の進め方を打ち合わせた。
仕事とは言え、
この暑さの中、いやはやご苦労様としか言えない。
図書館とタイアップした新企画や、
昆虫鉛筆画教室などの企画も検討することになった。
やはり子供対象のイベントになってしまうのは
やむを得ないなあ。

しかし暑い。
13日になればお盆の日常が始まる。
今夏は父の姿のない寂しいお盆になる。
振り返ってみれば、
物心ついた私が自覚したお盆には、
必ず五つの顔があった。
祖父、父、母、兄、そしてわたし。
一つ屋根の下で絆を育む5人家族である。
お盆に仏前でご詠歌を唱える光景に、
五つの顔は必須だった。
先達を務めるのは父。
その父がつく鉦を
兄と私が奪い合うのはしょっちゅうだった。
時には親せきの顔が加わっても、
あの五つの顔は欠けることはなかった。
何年も何年も同じ光景が繰り返された。
考えてみれば、
幸せで穏やかな光景があり続けた。

いま五つの顔から四つの顔が欠けてしまった。
新しい家族がいなければ、
私一人というわけだ。(むなしく寂しい思いに駆られる)

それでも、
お盆は素知らぬ顔でやってくる。

img013.jpgららかんう.jpg朝顔.jpg

欠点は奇跡を生む

畑に二人の孫を連れて行った。
幼稚園で何か野菜が一つ要るらしい。
ところが畑でしっちゃかめっちゃか。
「虫がコワイ~~!」「カエルいやや!」
仕方ないので車に待機させることにした。
もう一人の孫は、
平気な顔で野菜の収穫を手伝ってくれた。
年子でこの違いである。
いくら何でも上の孫の虫嫌いは大仰すぎる。
でも、それが彼女の個性なのである。
どうしようもない。

そうそう、私だって
人見知りであがり症という個性、
いあや欠点の持ち主だった。
そんな子供がクラスで注目の人になることだってあるのだ。
そう、あれは奇跡だったのかも。
欠点がみんなの注目を浴びるという奇跡だった。

小学校3年の国語の時間だった。
席順で巡ってくる教科書の音読の番がやってきた。
昔ばなしだった。
指名される前に、
もうドキドキドキと心臓の鼓動が早くなった。
顔がひきつるのも分かった。
無類のあがり症のせいだった。
「むかし昔……」
気付いた。自分の声がおかしいのを。甲高く、しかも震えている!
ビブラートがかかった声。
(またからかわれる)
ところが、読み終わると歓声が起こった。
「すげーやん」
級友だけではなかった。
先生までも、
「上手に読めました」

自分の欠点が特技を生んだ瞬間だった。
甘い震え声は私の唯一の武器となった。

後に弁論大会、アマ劇団へと
階段を登る布石となったのだと思う。

今その声が聴きに瀕している。
部分入れ歯の数がふえたおかげで、
言葉に息漏れが顕著になるばかりである。(あ~あ~。ため息)

img011.jpg初孫1.jpg初孫3.jpg初孫2.jpg

オート三輪とハスラー

8日、娘には歓喜の日である。
就職2年、給料の一部とボーナスをため、
一部を親の負担で愛車を購入した。
ハスラーとかいう車らしい。
これまで出勤に浸かっていたの車は、
私が長年乗っていた車、ワゴンRだった。
車を娘に取られて以来、
自転車と徒歩が移動手段となっている。
新車が届いた日は、
やはり娘のテンションは上がりっぱなし。
みんな愛車を手に入れたらそうなるようだが、
私の場合はかなりクール。
実は車の運転、あまり好きなほうではない。
運転には集中力がいるので、
散漫な性格の私にはあまり会わない。
だから車を入手してもテンションが上がることはない。
もう一つ理由がある。
人生初の車体験が怖かったからだ。
村で数えるほどしか車がなかった時代。
機械好きの父が手に入れたのはオート三輪。
当時「バタバタ」といっていたっけ。
車が納車されたとき、
家族は競って乗りたがったが、
私はできれば乗るのは御免したかった。
すごくおびんたれだったからである。
特に初物は苦手中の苦手だった。
「お前も乗れ」
兄に尻を押されて助手席に乗っかった時は、
怖くて顔いろがひいてしまった。
オート三輪が爆発すような音を出すと、
最悪な気分に襲われた。
しばらく我慢していたが、
助手席を開放されたとき、
体中の力が抜け落ちてしまった。
ただオート三輪のハンドルを握った父が、
すごく頼もしく見えた。
もうコワイ父ではなく、
私の心で偉大な父と化したのである。

ハスラーは、
持ち主の娘の手で磨き上げられていた。

img010.jpgハスラーさ.jpgハスラーあ.jpgハスラーか.jpg

コワイ父

昨日は亡き父の逮夜。
父の遺影を前に手を合わせた。
(ありがとう)
もう何度目か分からない感謝の思い。
確かに
父とざっくばらんな会話の記憶はないに等しい。
寡黙な父に、誰に対しても人見知りした子供だった私。
家族もその対象だった程酷い人見知りな性格だった。
そんな父と息子に
一般的な親子の姿を期待するのは無理な話。
中学を卒業するまで、怖い存在であり続けた父。
悪いことをしては、「悪い子は外で立っとれい!」
夜の真っ暗な外で
何度立たされたことだろう。
街灯の一つもない時代で家の外へ一歩出れば桎梏(?)の闇。
怖かった。恐怖に耐えながら立ち尽くした私に、
月の光が救いになった。
そして、
そっと外を伺い、
食べ物を差しだしてくれた母。
「ちゃんとお父さんにあやまりよ。すぐ家に入れて貰えるさかいな」
母の優しい言葉がどれほど私にゆうき(?)を与えてくれたことか。
いまになれば、それらは親の愛情だったと思い知る。
父と母の役割を分担した子育てだったのだ。
悪いことが何なのかを知らしめてくれたおかげで、
常識と一種の正義を備えた大人になれたのである。
父は出来損ないの息子にも医大(?)な父であり続けたといっていい。
父の息子でよかった。母の息子に生まれて幸せだった。
いまは感謝してもしたりない。
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父親です

娘が母親と話しているのが耳に入った。
「お父さんと違うタイプの人がいいの」
いま付き合っている相手がそうなのだろう。
私はB型典型(自分で思い込んでいる)の、
自己中、無責任男だから娘が選ばないのは賢明だ。
「いつかわかるって。一緒に家庭を築ける相手が、
あなたの父親と同じタイプだって」
「それはないよ」
「お母さんがそうだもの。私が選んだ相手は、結局私の父親タイプだった」
「うそ」
「今にわかるわ、あなたにも。一緒にいて一番落ち着ける人は父親に似てるって」
妻の言葉が耳に心地よい。
「よくケンカしてるじゃやん」
「喧嘩なんかしてない。ううん、13も違ったら喧嘩にならないの、それにお父さんは優しすぎるんだよ。だから40年も一緒にいてる」
耳がこそばゆかった。
私が優しい?
そうは思わない。優柔不断男の間違いだろ。(笑)

優柔不断の父親が育てた4人の子供。
まともに育ったのが奇跡かも知れない。
それぞれいろいろ問題はあったが、
いつの間にか解決していた。
親がいなくても子は育つだったのかも。

男の子とキャッチボールすらまともに出来なかったのを思い出す。
一緒に泳いだ記憶もない。
酷く運動オンチだった私に普通の父親にはなれなかったのだ。

ただ一度だけ、
子供と真正面からぶつかったことがある。
女の子が小学生のころ、
友達に誘われて悪いことをしてしまった時だ。
「悪いことをしたと分かるな。
悪いことをしたら罰を受けなくちゃならないんだぞ」
いっぱしの父親になっての説諭、いや行動が先行した。
「お父さんも悲しいから、一緒に畑を耕そうか」
よく分からない罪滅ぼしだった。
しかし、父親と無言で畑の土を掘り起こしていたら、
娘は涙を流していた。歯を食いしばっていた。
悔いているというより悔しかったに違いない。
自分が悪いことをした自覚がない年頃だったのだ。
ひくひくと嗚咽しながら娘は父親と畑仕事をやり続けた。
あれが親らしいふるまいだったのではなかろうか。

いまその娘は立派な社会人になっている。
結婚し家を手に入れ、娘二人の母親にもなっている。
あの時の涙が彼女を変えたのかは定かではないが、
父親の真似事をやってのけた貴重な思い出になっている。
img008.jpgあさかお.jpgららかんい.jpgららかんう.jpg

助っ人爺さんたち

「ふるさと川柳IN加西」の展示と投票が終了。
6日午後に片付けと撤去。
助っ人に駆け付けてくれたのは、
いつもの仲間。
別に声をかけたわけではないが、
展示最終日から判断して駆けつけてくれたのだ。
みんな白髪頭のいいおじいちゃんたち。
10年前、
定年を迎えたのを機に、
イオンモールで、
初の展示会を実施したのが始まり。
時間をつぶすのに
通い始めたイオンで出会ったみんなだ。
別に私と同じ趣味はやっていないのに、
「あんたがやるなら手伝ったる」
としゃしゃり出て(?)くれたのである。
以来10年近く、
毎年イベントをやるたび助っ人に参じてくれている。
今回もしっかりと駆けつけてくれた。
足腰も昔と比べて不自由になっているが、
意気は衰えていない。
その信頼は、
もはや空気みたいなものである。
考えてみれば、みんなの存在があったればこそ、
続けてこられたと思う。
ありがたいことである。
撤収が終わって散会するときに、
「また次があるから、みんな病気したりあの世へ行ったりしないでよ」
冗談めいたお願いで締めくくった。

片付けた作品は
根日女創作倶楽部@まちライブラリーアトリエで、
展示をすることにした。
投票数が多い作品を主役に展示してみた。

次の企画が「男性のための料理教室」。
私が講師ということらしいが、
さてどうなりますことやら。
コロナ以上に悩ましいことである。
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クワガタ捕り

朝から暑い。
生ごみをコンポートへ運んだが、
玄関を出たとたん、
耳に蝉の声!
ここしばらく聞いていない。
立ち止まって蝉の声に耳を傾けた。
我が家のシンボルツリー、
桜の大木から蝉の声が届けられている。
昔はうるさいほど鳴いていたのに、
最近は蛍同様希少そのものだ。

田舎の夏は虫の夏でもある。
アリやゴキブリなどは御免だが、
蝉、カブトムシ、クワガタ……は大歓迎。
子供時代は毎日捕りまわっていたっけ。
二人きりで年子の兄弟だったが、
兄は季節を問わず、野外を遊びまわり、
一方の私は部屋に閉じこもって、
絵を描いたり、本や漫画を読みふける子供だった。
「カブト捕りにいくぞ~!」
そんな弟に有無を言わさず誘い出す兄だった。
夏休みに入ると、
朝早く引っ張り出された。
林と山すそを回って、
クワガタやカブトムシを捕獲するのである。
野人(?)の兄は、
虫のいる木のあり場所を熟知していた。
人より先に行かないと、
もうカブトムシは取られてしまう。
しかし兄の野生のカンと敏捷性は
誰にも劣りはしなかった。
ただわたしという金魚の糞的お荷物付きだったが、
それをものともしない兄だった。
蜜が豊富な木を見つけると、
ハチがブンブン飛び回っていても意に介さないからすごい。
私といえば根っからのおびんたれ。
兄の背中の後ろに隠れてやり過ごしたのだった。

あの頼れた兄は、
43の若さで逝った。
私の厄を身代わりで受けてくれたのだと、
今も信じてやまない。

蝉が鳴きながら、
桜の木から飛び立った。
また暑さが半端じゃなくなろうとしていた。
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墓守

お盆のことを考えて、
墓の整備にかかった。
手始めは草刈り。
墓といっても、
権利を買った当時の敷地のまま。
目印にど真ん中へ
コンクリの下水桝を半分ほど埋めている。
その周囲は草ぼうぼうである。
丁寧に刈り払った後は、
下水桝の仮墓の清掃だ。
早く墓の建立をと思っていたが、
自分が入る墓なので早すぎると躊躇している。
そうこうするうちに、
昨今墓事情に大きな変化が起き始めた。
墓の是非が問われている。
親が死んだあと、
墓の守り手がいなくなる社会の変容がある。
迷いながらも、
町に出ている息子が帰ってくるかも知れないと、
淡い希望に縋りながら、
定期的に草刈りと掃除を続けている。
さて、どうなりますものやら。(ため息)
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水やり協奏曲

深夜1時半。熱帯夜かな。
温度は下がる気配もない。
昨年にクーラーを取り付けたから心配ないが、
それまでは窓を開け放したり、
扇風機や団扇を駆使して暑さを凌いだものだ。
時には素っ裸になったこともあったっけ。(笑)
昨日の日中も暑くて、
畑に足を運んだものの、
這う這うの体で逃げ帰った。(苦笑)
「暑い中バケツリレーやで、考えられへんかったわ」
祖父(私には父)の葬儀に静岡から戻った長男が、
家族との談笑の中で、
しみじみした口調で言っていたのを思い出した。
そうだ。
あれは二十数年前、新居に住み始めたころだった。
土をならした庭には、
ホームセンターの片隅に売れ残った
庭木の苗を安く買ってきたものを植え込んでいた。
夏の日差しを受けて青息吐息状態にあった。
水をやってもすぐに乾いてしまう。
一日に何度も水をやったのを忘れない。
最初は一人でウントコショと水を運んでいたが、
とても埒が明かない。
そこで子供たちを動員した。
家の裏手に流れていた水路から、
庭まで並んでバケツリレーである。
子供たちも素直な時期だった。(思い込みだったかも)
暑い中、
子供たちは「キャッキャッ」はしゃぎながらバケツをリレーした。
満タンにしたのでは小さい子供には無理なので、
半分以下に水を汲み運ばせた。
上の子供が中学を卒業するまで毎年続いた夏の恒例行事。
そういえば、
妻はちゃっかり家の中から応援していたっけ。
長男が記憶していたとは思わなかった。
しかし長男は事細かく覚えていた。
家族で競争した庭の草むしりも克明に記憶していた。
「友達の誰もしてなかったことを経験したのは、俺の原点の一つやな」
長男は胸を張ってどや顔をした。

救われた思いがした。

いま緑豊かな庭の主役を務めている
木々たちを育てたのは子供たちだったのだ。
img025.jpgnihokaro.jpg蛙か.jpg畑町か.jpg畑町あ.jpg畑町さ.jpg畑町か.jpg

草刈り

父の葬儀も終えて、
気になっていた畑の草刈り。
高温と雨、条件が揃ってまるで大草原。
10時くらいに始めた草刈り、
膝祖がきつく、
12時のサイレンを機にひと段落。
とにかく暑い!
用意しておいた2リットルペットボトルも、
空っぽになったので家路についた。
シャワーを浴びてホッとしたが、
食欲がわかない。
ここ何日か、
加西のショッピングモールで、
コロナ感染者が出ている。
ちょっと気になるが、
暑すぎての食欲減退なのは間違いない。
冷やしておいたマクワウリは食えた。
自家農園で育ったものだけに特別な味わいだ。

3時になると、
少し曇り空なのを見計らって、
再度草刈りに出向いた。
大草原に挑むうちに
頭に浮かんだ記憶。
村の共同作業である農道の草刈りの光景。
そこに父がいて、私もいた。
姫路からUターンした私。
村の行事や奉仕作業は出なければならない。
最初は一つ上の兄と並んでの作業だったが、
その兄が急逝。
再び父が草刈り機を担いで参加するようになった。
作業中、しきりに父をうかがう私。
年のせいもあって
痛む膝をかばうようにしている父が
気になって仕方なかった。
父が80になるまで何度も作業を一緒にした。
年々膝の不自由さが募り、
様相も老いていくのを目の当たりにした。
それでも、
父がそばで草を刈っているのを、
楽しんでいた私。

ああ、まだすぐに父との思い出が頭をよぎる。
それは父が
私の中で生き続けていることに他ならない。
うん!思い出せ思い出せ!

ところで、
最近私の膝も父と同じように痛み始めている。
草刈り機の操作も
足をかばいながらになっているのに気付いては、
思い出し笑いをしてしまう。
しかし私には、
見守ってくれる息子がそばにはいないのだ。

img024.jpgkusakariki 3.jpg草刈り機2.jpg

現実と希望

葬儀の日。
控室に集まったわが家族。
5年ぶりに顔を見る長男を
囲んだ妻と娘ふたり。
漏れ聞こえる話題は、
「お兄ちゃん、恋人は?」
思わず耳を澄ませた。
「結婚なんて面倒くさいわ。
それに忙しいから出会いはないもん」
5年前に結婚を全否定した長男。
確か37になったはず。
「兄ちゃんかて恋人は折る」
(ん?)
耳に神経を集中させる。
長男が口にしたのは、
「恋人はいるが、結婚する気はない」
(ガクッ)
とはいえ、
人並みに恋をしていると知り安堵を覚える。

通夜の跡に家に落ち着いた長男の言葉を思い出す。
「もう帰らへん。戻ってきたら負けたことになる」
これまたがっくり来る言葉だった。
コロナで50億の損失を出した居酒屋チェーンで働いている。
「いくとこまで行ってみる」
半数以上の社員削減の中、残って頑張っているらしい。
それは長男が選択する生きざまである。
負けて帰ってこないという長男の決意は本物と感じた。
親としては喜ばしい限りだが、
半面寂しい。
大変な時は頼ってくれと思っている。
だからこそ、
田舎の家をしっかりと守っていけるのだ。
長男がいつでも戻れる場として。
「家は自分のために建てるんやない。息子らのためやからな」
亡き父はそう言ってのけた。
ブリキ職人の父と大工の従兄、
そしてわたしの三人9脚で建築に取り組んだ我が家。
それは長男のためだった。
しかし巣立った長男は歯牙にもかけていない。

コロナの影響で先行きはどうなるか分からないが、
長男は男としての覚悟を親に見せた。
大学を卒業した後、別の大手外食チェーンに就職したものの、
3年で挫折して家に戻ってきた。
ラーメンチェーンでアルバイトをした後、
就職したのは大手の居酒屋チェーン。
「もう負けへん」
そして、名古屋から静岡の各店舗の店長として転勤、
途中入社5年でエリア長に昇格した。
マグロの解体免許まで習得したと聞いて驚いた。
新店舗出店のプレゼンも面白いという長男に、
彼の覚悟と見た思いがしていた。
それはコロナを前にした今も、
びくともしないものらしい。

息子に見捨てられた現実(?)は受け入れ、
いつかを期待して
長男の家を守っていこうと、
改めて誓った。
img023.jpg花盛りあ.jpg花盛りか.jpg

格差

火葬された父のお骨揚げを済ませて、
ふらっと火葬場の控室の前にあるミニ庭園に入った。
ベンチに腰掛け、
しばし父の思い出にふけったが、
生真面目に働いている光景しか思い浮かばない。
とにかく真面目に働くのが取り柄みたいだった父。
子育ては母任せだった。
当時はそれが田舎の一般的な家族風景だった。
今も不思議でならないが、
尋常小学校しか知らぬ母なのに、
生活の実情に合わない上級な幼稚園に私を通わせた。
田舎で幼稚園に通わせる家は珍しかった。
村で幼稚園に通ったのは二人きり。
一人は両親とも教職で、庄屋の家柄だった。
一方の私は学のない両親、家業は百姓。
とても釣り合うはずのない私たちは、
幼稚園に手をつないで通った。
幼少のころから、
当時農家に配達されていた「家の光」という雑誌を読むような子供だったので、
親は勘違いして子供に期待をかけたのだろう。
酒見寺の境内にあった幼稚園を卒園した二人の歩みは大きく違った。
最終的には東大に入り当時の国鉄に入ったエリートの相手に比して、
私は職を転々として落ち着いたのが調理師の世界。
それも仕事以上に打ち込んだ演劇のおかげで仕事は中途半端だったから何をかいわんやである。
国鉄の重役を経た彼との格差は広がり過ぎて、
接点は完全になくなった。

そんな私のこれまでの歩みを、
父は垣間見ながらどう思っていたのだろう。
鳥取の片田舎で貧乏な家に生まれ育ち、
小学校に上がる前、東京へ養子に出され、
そこに子供が生まれると突き返されたという。
もう一度養子に出された後、
やはり出戻りとなった。
そして丁稚奉公という大変つらい経験をしている父。
殆ど無学と言っていい父だった。
そんな父の目に、
私の生きざまはどう映っていたのか。
もう無理だが、
だからこそ猶更聞いてみたい気がする。

父が遺した和凧を自宅まちライブラリーのアトリエで展示している。
並ぶ私の文芸作品が地味に見える父の力である。
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