つかの間の団らん

父……いや祖父の葬儀に駆け付けた子供ら。
静岡から仕事の合間をやりくりした長男。
仕事が忙しいい彼と5年もあっていなかった。
36になるが、すっかり貫禄がついている。
とはいえコロナ直撃で
将来の目が絶たれるかも知れないらしい。
居酒屋チェーンのエリア長まで登ったところでコロナである。
全国の店舗を半分も閉店したほど危機的状況にあるようだ。
「仕事がある間は打ち込むさ。先行き光が見えないけど」
名古屋静岡と勤務が長く、
言葉のイントネーションはあちらのものになっている。
長男を囲んで談笑がやまない兄弟姉妹と母親。
その輪の中に入れず、
一人酒を楽しむふりをしながら、
実は聞き耳を立てていた。
話が弾んで、
昔の団らんを復活させている。
昔も今も話に割って入れない父親は、
盗み機器下子供らの近況に、
内心一喜一憂する。
そして自然と顔が綻び、
ニンマリ顔になってしまった。
巣立った子供らとふれあう貴重な瞬間を、
昔と同じく外野席でニンマリと、
父親の幸せを満喫するのである。(やれやれ)

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父の納棺日。
清拭と末期の水の儀式に参加した。
そして死に装束を整えて納棺へ。
棺に落ち着いた父の顔を見つめていると、
不意に涙が……。
寡黙で生真面目過ぎた父。
人見知りの激しい私と滅多に話したことはない。
言葉で話さなくてもわかり合えたと思う。
無口の分、父の思いやりがモノを言った。

二十代の私が失恋と失職が重なり打ちのめされた時だった。
長い時間近辺を彷徨した末に、
どこも頼るところもなく、
足はやはり実家に向いた。
真夜中近くに実家の前に辿り着いた。
玄関には明かりがついたまま。
吸い込まれるように明かりへ急いだ。
「ガラリ」と玄関が。
そこには父が立っていた。
日頃から近づきがたい存在の父の登場に立ち尽くした。
「風呂湧いとる」
それだけ言うと、父はくるりと踵を返した。
誰もいなくなった廊下を渡り風呂場へ。
当時はマキで沸かしていた風呂。、
気持ちいい湯加減だった。
父は私が帰う時間を見計らって沸かしてくれていたのだ。
風呂に浸かると、煩わしいことが解けて流れた。
「食え」
風呂から上がった私の前にに父は丼鉢を置いていった。
そして父は奥の間に消えた。
即席ラーメンだった。
作りたてのラーメンに生卵がトッピングされていた。
殆ど料理をする姿を見たことがない父の作ったラーメン。
湯気の立つ暑いラーメンは実にうまかった。
万事心得た父の思いやりが隠し味だった。
父が漏らした二つの言葉。
ぶっきら棒そのものだが、
わたしにはちゃんと伝わった。
ずるずるすすっているうちに涙が生まれた。

私と父の会話は、
「あ」「い」「う」「え」「お」で事足りていた。
ケッタイな父と息子の日常が、
その夜だけ変わったのを思い出す。
誰にも分ってもらえないだろう。
私と父のサイレント絆を。(笑)

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夏の1ページ

連休中に
娘たちの家族や彼氏と、
焼肉や花火を楽しんだが、
その写真が手に入った。
眺めていると、
みんなのはしゃぎっぷりを思い出し、
幸せな気分に浸る。
そして思い出す。
亡くなった父が、
子供のころの私とどう関わったのかを。
一番の思い出は、
夏休み終盤、
私の宿題を父が応援してくれたことだ。
といってもドリルとか読書感想文などではない。
工作に絵、そう習字なんかも。
ある年には、
提出した宿題の絵や工作が父のものだったりした。

あれは小学4年生の時だった。
新聞とふのりを使い
「冒険だん吉」の無人島(鉛筆立てだった)を作り始めた父。
もう夢中で、私の出る幕はなかった。
ヤシの木やダン吉とほかのキャラクターも配した対策だった。
絵具で塗るのも結局は父の独壇場。
完成したときに見せた父のどや顔は、
まるで少年そのものだった。
その作品は金賞に選ばれたのである。
みんなに褒められて面映ゆかったのを思い出す。
絵やポスターなども、
私が描いたものに手なおしが必ず入った。
手なおしされた絵は大体ベストスリーに選ばれた。
不思議だが、
父の作品で褒められていくうちに、
私の絵はドンドンうまくなった。
写生大会で賞の常連になったのだ。
賞状を見せた父の顔は崩れっ放しだった。
よほどうれしかったのだろう。
ひとつ上の兄はアウトドアータイプの子供で、
絵など見向きもしなかったから、
父は自分の得意分野を共有する我が子を得たことが、
幸せだったのだろうな。

いまその父は、
閉じた目を開くことはない。
(おおけに……)
心の中で父にお礼を言った。

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父死す

父が97歳の大往生を迎えた。
脳梗塞の再発を繰り返も、
二年近く頑張りを見せた父。
やっと役割を終えたかのように、
安らかないい顔で逝った。
コロナの影響で、
家族葬、それも人数制限の選択肢しかなかった。
隣保の住人が寄り合って、
葬儀を執り行っていた時代を生きた父は、
生前、
自分も隣保の皆が寄り合っての葬儀で
見送られたいといっていたが、
その切望は時代の変容とコロナの災禍で、
なにひとつ叶いそうにない。

戦争を生き抜いた父、
小柄過ぎて徴兵検査に合格できなかったとか聞いた。
飛行部隊の整備兵として戦地に出たが、
「チビチビ」と苛められたらしい。
その逆境を歯を食いしばって耐え抜いたのだ。
私の立ち合いで医師が告げた臨終の宣告。
ベッドに横たわる父の顔にはまだ生気があった。
触れるとまだあたたかった。
小柄な体がひどく縮んでいた。
この父の偉大さを知るものは私一人だ。
父母、そして一人っきりの兄と、
私が愛した
わたしの家族はみんないなくなってしまった。
寂しい。(素直に悲しめない年になってしまった私が憎い)

あの日、
父の形相はかわり、
私は恐怖に震えた。
兄弟げんかで、加減をまだ知らない子供の私が、
兄の頭をそろばんで殴ってしまった時、
すかさず父の手が私を張り飛ばした。
「痛いやろ!それ以上痛いんが兄ちゃんや。
世界中でたった二人きりの兄弟やで、お前らは。
その大事な兄ちゃんを痛めつけてどないすんや」
すごい剣幕にびっくり、
泣きじゃくった私を兄は抱きしめて、
やはり泣きじゃくった。

久しぶりに思い出した。
私と兄と父のきずなの原点を。

父の容体急変の連絡を受けたとき、
9月展示会のチラシと
まちライブラリーの通信紙をプリントしていた。
図書館の展示会では二年前に、
手先の器用だった父が作った和凧を展示した。
「おまえだけや、わしの作ったもん理解してくれるんわのう」
95歳の父の目はうるんでいた。
あれが最後の親孝行になってしまったなあ。
絵を描いたり工作が父の楽しみだった。
その父に似てしまった私の存在は、
父に些かでも喜びを与えられただろうか。(自信はない)

小さくて逞しかった、
私が内心目標とした父の、
成仏を願おう。
合掌!サラバ親父!(あの世でまた親子になろうな)
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爪切り

巻き爪になるよ」
私の足をチラ見した長女。
爪が変になったのはわかっている。
親指の爪など、
一般の爪切りで切るのが
無理になった。
それに年のせいで
爪切り自体が簡単にいかない。
「父さんの足、汚いからほっと来なさい」
妻がチャチャをいれると、
「私が切ってもいいよ」
さらっと言ってのけた長女。
介護施設の介護福祉士という仕事柄、
対処し慣れた事例なのだろう。
「とうさん、よかったじゃない。
爪を切ってくれるらしいよ」
妻が暗に仕向けたことだが、
当の私は躊躇した。
二十代から料理人をやってきた。
厨房では白い長靴をはくことが多い。
ムレて水虫にやられて……
酷い長年にわたる駆使でひどい状態だ。
人様に触らせるのは気の毒としか思えない。
「いいよ。何とか自分でやるから」
「ほんまに?大丈夫」
その場はそれで収まったが、
翌日、なんと分厚くなった爪専用の爪切りを買ってきた娘。
「父さん、足出しなさい」
後は娘の独壇場。
衛星用の手袋をはき、手早く爪を始末してくれた。
「汚い爪やのに、親やからゆうて近頃の娘、やってくれへんで」
言葉とは裏腹に妻の顔には安堵と喜びがあった。
父親の爪を切る娘。
それを取り囲む家族の笑顔。
これを幸せと言わずになんという。(ウン)
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久々の大き目団らん

きのうは楽しい宴だった。
何年ぶりだったかな。
我が家に賑やかな団らんが
繰り広げられたのは。

息子らが巣立つ前は、
家族6人、夕食光景は、
いつも談笑の渦が見られた。
巣立った後に長女が結婚、、
半減した家族に
団らんはほぼなくなっていた。

それが復活した。
長女の家族4人に、
次女は彼氏を伴っての、
バーベキュー団らんである。
五輪のための連休が、
我が家の団欒の再現を生んでくれた。

朝から買い出しも、
肉の本場志方まで足を伸ばした。
我が家には珍しく
上質の肉(タンやトンテキ、セセリを含む)を購入。
野菜は自家栽培の夏野菜がどっさり。
肉のおいしさといったら、
新しい家族たちとのふれあいが加味されたそれは、
部分入れ歯の私も、堪能できた。
孫がキャッキャッはしゃいだ花火に、
次女の彼氏と孫らが遊ぶ光景は……はもう最高!
生きていればこその、
幸せな時間だった。
コロナ、身近な人の自死に遭遇など、
ネガティブになる一方だった私が、
久々の満面笑みを、
惜しみなく家族たちへ注いだ一日となった。

玄関先で繰り広げた家族の団らんを
ともに喜んでくれた朝顔もパチリです。
img008.jpgたたたたたら.jpgかかかかかや.jpg1012.jpg3333.jpg

泳げない

連休は大忙しである。
孫の連泊に、
娘たちの相手が来訪しての
家族焼肉を家の庭でやる予定。
天気がどうなるか分からないが、
雨なら玄関先か
倉庫の入り口を開放してやるしかない。
長女の夫とはもうなじみだが、
妹の相手は初お目見えとなる。
あと息子二人いるが、
こちらはとんといい話がない。
仕事で付き合う時間もないようだ。
朗報は諦めがちである。(なるようになるしかないもんなあ。苦笑)

きのうから家に来ている孫二人。
まだ3歳ちょっとと1歳になる。
暑くなっているので、
二人のためにビニールプールを用意した。
喜びはしゃぐ姿に、じいじの目はますます細くなる。

しかし今どきの子供はなにかも恵まれている。
家でプールに入れるなんて、昔は考えっれなかった。
セレブのようにプール付き自宅ではないが、
子供を喜ばせるには十分な
ビニールプールが用意できるのだ。

私が子供のころ、
夏に泳ぐといえば、
村の大池で毎日泳いでいた。
いや、私以外の子供たちは楽しかったに違いない。
子供会単位で行動するから、
OBの中学生も混じっていた。
といって誰かがコーチするわけではない。
溜池は深くてまず足が立つエリアはほとんどない。
否が応でも泳がなくてはならない。
しかし私は当時も(いまもだった)
カナヅチというか立ち泳ぎすら絶対無理。
そんな私もいやいや村のみんなと泳ぐわけだ。
泳がずジーッと浸かっていると、
ヒルに吸い付かれる羽目になる。
黒い小型のナマコみたいなやつが、
ちゅうちゅう血を吸う。
引っ張りはがすと赤い血が!
それが怖くて嫌で無理に泳ごうとして、
覿面おぼれた。
死に物狂いで水を掻くが、、無情にも沈むだけだった。
死んだと思った瞬間、
泳ぎが達者な、一つ違いの兄に救われた。
以来、大池の泳ぎを
仮病や何らかの理由をつけて
参加しないようになってしまった。

プールがあったら、私だって泳げるように……
いやいや、絶対に泳げなかったろうなあ。
調運動音痴だったから。(笑)

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朝顔

玄関わきのアルミ柵に
巻きついた朝顔が顔を覗かせていました。
好きな花です。
さわやかな色合に目を奪われます。
目の前に咲き誇る花は
紫がかった青とピンク。
しばし眺めていると、
小学生のころを思い出しました。
夏休み前の写生で
朝顔は絶好の題材になりました。
「お前、うまいのう」
そう褒めてくれたのは、
産休を取った担任にかわる代用教員H先生。
若い男性教員で
ニコニコと優しい笑顔だったのを思い出します。
担任はベテランの女性教諭。
それまで褒められたことのない私は、
H先生に褒められて
顔が真っ赤になって焦ったのが懐かしいなあ。
褒められるのって、
子供には最高の糧になるものです。
何ひとつ目だない存在の子供が、
絵のコンクールで金賞を取るまでに。
戻った担任のT先生は、
これまでと同じに、
褒められることはなくなりました。
でも、得意になった絵は、
写生大会入賞の常連になっていたのです。
勉強もできず目立たない子供も、
褒められることで、
少し成長できたのだと思います。
H先生の笑顔と誉め言葉、
人生最上の一期一会といえるかも。(うん!)

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暑い!

 酷暑続きの昨今、近くのショッピングモール通いが欠かせなくなった。片道四十五分ほどかかるが、苦にならない。辿り着けば避暑地が待っていると思えばらんらん気分。
 全館クーラーで涼しく、休憩所もフードエリアもあり便利この上ない。時にはスーパーの売り場を覗いて回れば気晴らしにもなる。
 もちろん話し相手に不自由しない。高齢者仲間がウロウロしている。暑い家にいるより、安全な居場所が約束されるモールは高齢者の強い味方なのだ。熱中症で孤独死のニュースを耳にするが、モールにそれはあり得ない。
 それに妻や娘は、「モールへ行ってくるわ」と伝えると、笑顔で送り出してくれる。少額だが小遣いをくれたりもする。
 そんな居場所をコロナはあっけなく奪った。春先だったので、まだ影響は少なかったが、夏を迎え暑さは増す一方の今、自粛解除になんとか救われた格好だ。ソーシャルディスタンスを守り、快適な避暑地としてのモールを取り戻せたはずだが、モール仲間と前のようなお喋りはなかなか難しいのである。
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家族の調理人

昨日の疲れと暑さにかまけて、
怠け心を優先した日になりました。
三時過ぎに日が陰ったのを見計らって、
畑の草刈り。
すぐ暑くなり、次回回しです。
茄子とウリを収穫して急いで帰宅。
夕食は妻が買ってくるウナギ、
土用の日は
妻が勤めるスーパーはてんてこ舞い。
従業員も予約して購入するのです。
いつもなら台所で夕食づくりをするところなのに、
今日ばかりは手持無沙汰です。

総菜の作り置きをすることにしました。
収穫したばかりの茄子料理です。
揚げびたしにミンチのはさみ揚げ……
考えていると、
昔々を思い出しました。
生まれ育った村は超田舎。
農繁期は小学校も休校になり、
子供も農作業に駆り出されました。
田植え、稲刈り……いやはや。
どちらかといえば家にいたい派の子供だった私に、
「ごはん炊いといて」と母。
実は低学年のころから
ご飯を炊く手伝いをしていました。
当時は土間に設えたかまどに
鉄釜や鍋をかけて、
ご飯もおかずもグツグツ煮炊きの時代。
自分一人でご飯を炊けるようになった私は
重宝がられました。
稲刈りなどで
なかなか家に戻れない親に代わっての料理作り。
ご飯を炊くと、
自然とおかずを作っていました。
カボチャと茄子の炊き合わせという
単純な料理が主でしたが、
「このカボチャええ味やないか」
なんて父と母におだてられて
いい気分になっていたものでした。

今思えば、
あの子供のころに、
将来調理師になる道を
運命づけられていたようです。
引退していますが、
調理師は私の天職だったといえます。

人間の運命って
案外単純なものかもしれませんね。(苦笑)
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いよいよ

昨日は今夏一番といっていい暑さ。
梅雨の欠片すら掻き消えた感じ。
早朝から
市民交流センターねひめ広場へ、
荷物を運びこんだ。
かなりの量になってしまったので、
ひとり黙々と行ったり来たり。
まだ涼しい時間なのに汗でじっとり。
開館時間前にようやくクーラーが入ったものの、
焼け石に水状態。
ビルの3階なので暑いのが上に上がってくるのだろうか。
とにかく暑い。
展示エリアを前に作業プロセスを酌んだ。
横12メートルを超すだけに、
あまり細かく考えても仕方がない。
会館の開場と同時に作業にかかった。
暫くして助っ人が3人。
市役所の担当者は若いが、
ほかの二人は私以上の高齢者。
しかし一人よりは作業が捗る。
年々仲間は老いて(?)いくなあと、
自分の年齢を忘れてクスリ。
終わったのはお昼の二時過ぎ。
もうくたくた。
途中メンバーが二人抜けたので、
市役所の担当者と並び、
成果を眺め酔った。
ひ孫と並ぶひいおじいさんの顔は
くしゃくしゃといった塩梅。
「お疲れさまでした」とひ孫。
その笑顔に疲れも吹っ飛んだ。

さあ「ふるさと川柳In加西公募作品展」の
始まりはじまり~~!
コロナのせいで4か月伸びたが、
これでようやく応募者の方へ、
責任を果たせると思い、
ハッピーハッピーである。

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直前

いよいよ
「ふるさと川柳IN加西」市民投票展示会です。
午前中に展示用意を終わり、
後は公開となります。
いま深夜二時半。
ぎりぎりまで準備にかかっています。
いま地元の昔話の紙芝居の仕上げです。
ここ数日
ほかのことは何も手が付けられません。
明日の一区切りで、
またほかのことを楽しむつもりです。
23日は孫が来る予定で、
プールの用意もしなきゃ。
考えるだけでハッピー気分にないますね。
さあ、明日は早く起きないと、
今夜は3時過ぎには寝るつもりです。
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夢を見られなくても

コロナがまた自粛解除以前の様相を呈してきた。
今のところ、20日からの展示はできそうだが、
その先が読めない。
隣のN市で感染者が出たらしい。
ヒタヒタとわが身に迫り来る気さえしてしまう。
こんな状況下で、
子供たちはどんな夢を抱くのだろうか。
ポジテブな夢であってほしい。
といっても、
夢を抱けないと悲観しないでほしい。
コロナなどの外的要因の影響を受けたわけではないが、
私は子供のころ、
大人になったら、こんな仕事をやるんだ!なんて、
これっぽっちも夢を見なかった。
級友たちが、
「将来は野球選手になります」「先生になりたい」
なんて言ってるのを横目に、
かなり覚めた心情で眺めていたものだ。
その後から今日に至るまで、考えてみても、
自分でこんな仕事をやってみたいなんて思ったことはない。
小学校ですでに眼鏡のお世話になりかけた私、
益々人見知りが激しくなってしまった。
成長する過程で進路を決める際は、
親や誰かに言われるがままに、
その仕事に就くという連続だった。
自主性がなかったというより、
そこまで考えが至らなかったに過ぎない。
夢を持てなかった私は、、
誰かの影響を受けるか指示に従う生き方だった。
しかし心配ご無用である。
そんな夢無し男も、
いっちょ前に一人前の調理人になり、
自慢できる家庭まで手中にできたのである。
夢など何かのきっかけごとに変えればいい。
選んだものに懸命に打ち込めば、
いい人生を得られると、
今は納得している。
たぶん、これからも夢見ることはないだろうな。
img001.jpgあじさいIMG_20200718_124808.jpgサルビア3.jpg

大勢の中のひとり

またぞろコロナが頭をもたげてきた。
また自分なりの自粛ライフに
入らなければならないのかも。
一人で時間を過ごすのは
得意(?)だから苦にならない。
小さい頃から、
ひとりぼっちだった。
人前で物が言えなくなるのが致命傷だった。
それでも仲間外れにならなかったのは、
遊びの輪の中、
いや輪の外にべったりくっ付いていたからだったなあ。
syべったり遊び合ったり出来なくても、
必ずその仲間たちにべったりくっ付いての、
傍観者を決め込んでいた。
いつも傍にある顔だから、
いつしか仲間の一人と勘違いして貰えたのだ。
割合優等生面していたのも好都合だった。
仲間と認められれば、
苛められることもないし、
自分流の生き方を通しても、
誰も文句を言わなかった。
別に考えがあってそうしたわけではないが、
自分を守る本能のなせるワザだったのかも知れない。
一種の処世術と言える。
それを大人になってからも生かし、
どんな会合でも、
顔を出して頬笑んで過ごしたものだ。

一人は大したことではないが、
紙芝居など実演できないのがきつい。
コロナを恨む日々となっている。

コロナのニュースを見て、
落ち込みながら見渡した先に、
あさがおが一輪。
今夏一番先である。
少し心が癒されたところでパチリ!
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大化けするために

子供が仕事で悩んでいる。
部署の責任者として、
数人のスタッフを使いこなせないらしい。
就職して1年半、
まだ新米、無理ないと思う。
まして私の子供ならなおさらかも。
誰も理解してくれないほど、
酷い人見知りな父親に似てしまったのだから。
私は克服するのに二十年はかかったと思う。
そのためにアマ劇団に参加したり、
いろんなグループへ飛び入り見学をやってみたり、
悪戦苦闘したが、
今は人並みに他人との交流をこなせるまでなっている。
幼馴染が私の顔を見るたびに言う。
「ホンマにお前あの根暗なガキんこやったなんて、奇跡やど」
そう私は大化けできたのだと思う。
だから、
子どもの悩みを見守っている。
自分で克服する日を迎えるのを。
私の子供なのだから、
何とかすると信じている。
5年後10年後が楽しみだ。
あっと、
そんなにかかったら、
私の寿命が尽きている恐れ大である。(ハハハハハ)

玄関先の吊り花壇に、
アオガエルが梅雨前から住みついているのをパチリ。
昨日やっとこさ終えた草刈りの跡をパチリ!です。
img031.jpgカエルあ.jpgカエルき.jpgカエルの住処.jpg

けんか相手

畑で柵の手なおしをしていると、
顔見知りのRさんが通りかかった。
幼馴染みで、やはりUターン組である。
珍しく声をかけてきた。
「精が出るのう」「若いもんが街に出てしもたからな」
「聞いたか。Sが死によったわ」「へぇ~」
どうやらその情報をしゃべりたくて立ち寄ったのだろう。
Sも幼馴染のひとり。
昔々は田舎なりに結構子供が多かった。
同級生で10人近くいたと思う。
といっても親しくしている相手はいない。
小さい頃からアウトドアっ子じゃなく、
インドアっこだったから、
友達はいなかった。
しかしSとは一度だけの因縁があった。
昔も今も私は穏やかで優しい男と通っている。
つまりはお人よしなのだが、
自慢じゃないが、昔も今も喧嘩はしなかった。
ただ例外がSとのけんか。
小学校5年生だった。
当時投下校は村の子供らが連れ立ってしていた。
その日の下校はなぜかSだけが連れだった。
なぜけんかになったか、
どちらが先に手を出したかは、覚えていない。
自然とはじまった喧嘩は、
鼻血が流れるほどの血闘(?)だった。
お昼時で周囲に誰もいなく、喧嘩は続いた。
そして終わった……と思う。
それぐらい喧嘩の記憶ははっきりしない。
だから買ったのか負けたのか定かではない。
あれ一度かなあ。
大人になってからも喧嘩沙汰は一切ない。

唯一のけんか相手の逝去を知らされ、
歳月が流れたのを実感した。

深夜零時。
家族の弁当のためにキッチンに立った。
フライパンでご飯を炊き、
茄子の揚げびたし、はさみ揚げ、肉詰めピーマンを作った。
茄子は飽きることはない。
いろんな料理が楽しめる。

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小劇場にエール

東京の小劇場シアターモリエールで
コロナのクラスターが!
ニュースを見て衝撃を覚えました。
若かりし頃芝居に没頭していた時に、
何度も東京の小劇場へ足を運びました。
下北沢、渋谷店…魂が打ち震えた日々。
闇に一筋の照明、ホコリと熱気、
ガンガンと迫る音響に雄たけび……。
確かに感染症には無防備な空間だったなあ。
何とか知恵と発想と行動を駆使して
現状を克服して小劇場ここにありと
頑張ってほしい。

いよいよ目の前に迫ってきた展示会。
確認作業で徹夜してしまいました。
「ふるさと川柳IN加西」優秀作品市民選考会。
コロナをひと時でも忘れて、
全国から集まった作品を鑑賞して、
清き一票をお願いします。

img029.jpgらかんあ.jpgらかんい.jpg

おふくろの味を生む醤油

食事の用意に入って、
醤油が残り少ないのに気づいた。
濃い口も薄口も均等になくなっている。
半々にミックスして使うことが多いせいだ。
さっそくイオンモールへ出向いた。
この辺で愛用の醤油を商品棚に並べているのは、
モールの食品売り場。
求めるのは地元のT醤油。
1・8リットルペットボトルだが、
運が悪ければ、
濃い口は売れてしまってることが多い。
結構人気があるようだ。
考えてみれば、
子供のころ、
家に配達された醤油。
おふくろの味は、
この醤油が生み出す味だった。
実は5年前までは
格安醤油で間に合わせていたが、
売り場で懐かしいロゴのラベルを見つけて以来、
割高になるが買い続けている。
結構いい味をつけられるから、
止められない止まらない~~って感じに。
この間、
工場前の直販店舗へ立ち寄る機会があった。
ちいさな道の駅の雰囲気。
醤油ソフトを買ったが、
ほんのりした味わいが、
懐かしい記憶を呼んだ。

いま私は家庭の料理番。
作る料理の味は、
おふくろの味に近い。
家族の評判もいい。
それもこれも、
地場産醤油のなせるワザなのかも知れない。
私がキッチンに立つ限り、
T醤油は不滅の存在になったといってよかろう。

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膝が痛い)

いい天気。
一昨日まで降り続けた雨で
水を吸い柔らかくなった地面。
それを厚く覆う雑草を
草刈り機で薙ぎ払う。
といっても、
草花とくっつくように生えた雑草は、
直に手を駆使して、
丁寧に引っこ抜くしかない。
「痛っ!」
思わずうなった。
しゃがみこんだとたん膝に痛みが走った。
コロナと同時に痛み出した膝。
それをだましだまし使っていたが、
もう限界なのかも。
93歳で亡くなった母は、
晩年痛む右足を伸ばしたまま、
這いずるように雑草を抜いていた姿を思い出す。
思わず顔が綻んだ。
雑草と格闘中の私。
まさに母そのままではないか。(笑)

img023.jpg畑町さ.jpg畑町は.jpg畑町あ.jpg畑町か.jpg

酒に呑まれぬ

娘の誕生日ということで、
妻が手配したのは串カツ屋。
職場でよく利用しているらしい。
小会合にもってこいの店という。
「何を飲む?ビールにする」
問いかけられれば迷わない。
「生ビール中ジョッキぐらいにしとくかな」
「うっそー!お父さん飲めるの?」
娘が目を丸くした。
無理もない。
家飲みしたことがない父なのだ
チューハイ缶を自分でも買ってくる娘が、
食卓で口にしていても、
私はお茶で通している。
外食時もジンジャエールオンリー。
「酔わないんだよ、お父さん」
「え?」
そう私は少々酒を食らっても酔ったためしがない。
妻と付き合い始めたときも、
適当に飲んで間をつないだものだ。
酒に強いのかそうでないのか自分にも分からない。
ただ好きでないのは確か。
あえて飲みたいと思わない。
仕事は調理師、趣味は演劇、
どちらにおいても酒の付き合いは無視できない。
口数の少ない私は、
飲む席では寡黙にマイペースで飲むスタイルに徹した。
男は黙って……じゃないが、
話さない分、酒の量はかなりになったと思う。
しかもウィスキー、日本酒、ビールなど
チャンポンにしても悪酔いすることはなかった。

妻の説明に娘は固まっている。
面白みのない、
何の取り柄もない、
酒も飲めない駄目おやじとしか見ていなかった娘は、
父親の正体を知ったのである。

今後娘と父親の関係がどう変わるか、
楽しみになった。
おめでとう、
我が娘、
やっと大人になった記念日を祝ってやろう。

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松茸

国際保護連盟で、
秋の味覚の王様、松茸を絶滅危惧種として
レッドリスト入りしたらしい。
わが故郷の松茸事情は悲惨だ。
山を覆った松が害虫で全滅に近い現実。
一時山は立ち枯れた松が白骨のように晒されていた。
私が子供の頃、
松茸は取り放題でも取り切れないほどだった。
稲刈りの最中に、
山へ家族そろって松茸取りに向かったものだ。
わざわざ買い入れ業者がやってきて、
お金になるのだから当然である。
専用の籠がすぐ一杯になるほどの量だった。
傷物や開き過ぎた松茸は、
家で佃煮に炊き上げるという
いま考えれば実に勿体ない話もある。
もう姿を見なくなって久しい。
松茸山の入札が例年行われたり、
松茸狩りで団体を招いたりもしていた。
野外で松茸入りのすき焼きという
豪華版が繰り広げられていたのが思い出されて懐かしい。
それが今や絶滅危惧種入り……(ああ~)

ただ私としては松茸よりシイタケの方が好み。
ブナシメジやマイタケ、エリンギも美味しいなあ。
松茸がなくても気にならないのは、
子供のころのトラウマなのかも知れない。
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梅雨中に茄子元気

ここ数日
茄子が元気
雨と高温が成育を促したのか、
次々に実をつける。
そしてかなり立派に成長する。
昨年の茄子が
親指ほどといえば極端だが、
とにかく貧相過ぎた。
今夏は特に追肥をしないのに、
呆れるほどの出来である。
6月から旬を迎えるらしいが、
(なんと秋にも旬があるらしい)
はや最盛期といっても過言ではない。
毎日摘果しなければ追っつかない。
雨が続く中、
傘を差して作業をしたが、
これがうまくいかない。
茄子に意識を向ければ、
傘がバランスを崩す。
結果、濡れ濡れ状態。
茄子の元気ぶり、
嬉し悲し、いや痛しかゆしだったかな。
それでも茄子はうまい!から許せる。(笑)

ねひめ広場(加西市地域交流センター)に、
貼り出された「ふるさと川柳IN加西」展示の案内。
多くの市民の方の投票参加を願うばかりである。

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筆文字アート

昨日は3か月ぶりに図書館へ。
9月展示の予約確認を済ませて
カウンターを離れると
目に入ったの会談したのパネルギャラリー。
「筆文字アートひよりふでとある。
FacebookでSさんが紹介していたっけ。
昔から悪筆と言われてきた私。
習字の時間は手を真っ黒にして
落書きタイムを謳歌していた。
そのせいでいまだに筆を握ると
震えがきてうまくかけたためしがない。
そんな私の目の前に広がる、
一味違う筆文字アート。
しばし見とれましたね。
もう少し若ければ、
チャレンジするところだけど、
いい年になってしまい、
新たな挑戦をする時間はない現実。
観て癒されることで満足するしかない。
実は夕方7時からねひめ広場運営会議があった。
そこで「ふるさと川柳」を担当している。
その上に「男の料理教室」イベントの
発起者になってしまった。
コロナを横目に、
また忙しくなる。

ところで、
いま運営会議のメンバーを募っている。
ねひめ広場を使った面白い企画をお持ちの方、
ぜひご参加くださいませ。
一緒に加西の元気力の燃料として燃えてみませんか。
(年寄りの言うことじゃないよなあ。反省)
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戦争遺跡

第二次世界大戦末期、
姫路海軍航空隊の
特別攻撃隊(特攻隊)「白露隊」が編成され、
加西から飛び立ち散華された63名の飛行兵たち。
飛び立った鶉野飛行場跡は
往時の規模を有する加西の戦争遺跡を代表するものだ。
その周辺に点在する、
防空壕などの戦争遺跡の一つ、
巨大防空壕の内部空間を活用、
CGをまじえた映像による、
白露特攻隊員の遺書の公開をスタートさせた。
さすがに映像の威力はすごい。
戦争の語り部が少なくなる中、
それに代わるものとしては最適と言わざるを得ない。
実は私も戦争遺跡ツアーボランティアガイドに登録している。
これまでに二度ツアーガイドに参加している。
次回参加がなされれば、
強力な助っ人に圧倒されるだろう。
しかし戦争の遺跡を通じ、
平和の意義を問いかけるのに、
助けは要らない。
歴史を学び情報や知識を自分のものにし、
平和への道を語りかけるのは私自身なのだから。

根日女創作倶楽部@まちライブラリーの恒例行事、
『令和2年文芸祭』のチラシができました。
1か月の長丁場、
お近くにおいでの節は
図書館へ足を運んでみてください。(宣伝でした。笑)
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石文化

市の広報誌は
私のふるさと案内である。
お化け屋敷の参加も、
その後の市民ウォーキング、まちライブラリー参加など、
みんな広報誌に掲載された情報がきっかけ。
仕事についているときは見向きもできなかった
ふるさと加西をじっくり味わう機会を
広報誌はくれたのである。
深夜2時過ぎ、
最新の広報誌に目を通していると、
Letsウォーキングのイベント案内に目が留まった。
コロナで3か月以上ご無沙汰になっている
ウォーキングだけに見過ごせない。
赤丸で囲んだ。
参加できればしたいものだ。
市民ウォーキングは市内の名所を巡る。
加西の個性として石文化と触れ合うことが多い。
道標、石仏、石棺……
これでもかというほど多い。
日本最古の石仏と聞いて驚いた古法華石仏。
加西の奥の深さは
知れば知るほど深くなる一方だ。
石仏見学はかなり密状態の見学となる。
レジャー気分の参加者もいれば、
歴史に昏倒する人も結構多い。
カメラやスマホで撮りまくる人もいれば、
しきりにメモを取る人だって負けてはいない。
どっちつかずの私だって、
いつしか熱っぽく石仏を見るように進化?したのだ。

あの密状態が懐かしいなあ。

あっと、
庭で見つけた花もパチリ!でした。

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茄子

さあ何を作ろっかな?
畑を引き揚げてきてから、
楽しいひととき。
目の前に
茄子とピーマンが山になっている。
暑さが増すにつれて
茄子とピーマンに弾みがついた。
いい形とサイズが揃った。
市場や小売するわけではないから、
すぐ山盛りになる。
しかし、
茄子はどんなふうに料理しても、
とにかくうまい!
シンプルに焼きナスは当然として、
揚げびたし、浅漬け、みそ田楽、天婦羅、煮つけ、はさみ揚げ……
枚挙にいとまがない。
何よりうれしいのは、
茄子単体でおかずになることだ。
肉や魚にあえて出番を求めるまでもない。
美味いごはんすら炊ければ、
なす三昧で「ごちそうさま」

それでも、
使いきれなくなるのは目に見えている。
残れば冷凍保存する。
それぐらい今年の茄子の生育は最高。
茄子だけで感激をくれる畑が、
連日まってくれる夏の畑である。

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コロナとこどもたち

地区の子供たちの通学を、
見守る地区の大人たち。
見守り隊と称しているが、
その一員として通学路に立っていると、
今やマスクで黙々と歩く子供たちの姿が普通だ。
コロナ社会における新生活の指針が、
子供たちにも浸透している。
春先までの賑やかしい通学風景尾を知っているだけに、
なんとも言えない気分になってしまう。
子供たちの健全な成長を見守るはずが、
コロナ相手にでは無力そのもの。
ただただ
「頑張れよこどもたち」と、
胸の内でエールを送り続けることしかできない。(むなしい~~!)

家の庭の雑草の中に小さな花を見つけた。
草花かもしれないが、
頑張って花を咲かせ、
私の心に何かを訴えるのがすごい。
次に草を刈る時は、
彼らの存在を意識して刈ることにしよう。
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庭の花

朝から雨模様。
というわけで少し朝寝坊。
3時過ぎに寝たから
都合5時間寝られたわけで、
すこぶる調子がいつにましてよい。


雨が小休止した昼前。
何気に外へ出た。
家の裏手にあるプチ庭兼ミニ畑は、
目に余るほど草の丈が伸びている。
(また草刈りしなきゃ~)
気が重くなった。
顔を上げると、
視界に薄い紫の花が
数輪咲いているのが入った。
確かあれは……韓国の花だっけ。
ムク……何とか言ったなあ~?
一度どころか二度三度聞いている名前が
すぐ出てこない。
実は花の名前はほとんど知らないし、
訊いてもすぐ忘れてしまう。
花に申し訳ないが、
呆れるほどの花音痴。
といっても、
綺麗な花には
しばし見とれてしまうほどの感性は
持ち合わせている。(自慢にならないよ~)
その花木の周囲に、
赤い花と濃い紫の花も顔を覗かせている。
紫の花はキキョウ……?う~ん。
決して聞かれたくない花の名前。
黙って鑑賞しましょうか。(苦笑)

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じいじの苦悩

月に一回ぐらい
二人の孫を連れて娘がやってくる。
孫の顔を見られるのは嬉しいが、
その相手をするのは、
かなり大変だ。
彼女らが来るのは、大体日曜。
スーパーで働く妻はまず仕事でいない。
つまりじいじがひとりで相手することになる。
子育ては、我が子4人育てたキャリアがあるものの、
その頃の若さはとっくの昔に失っている。
気はせいても体がついてこない状態の高齢者。
長丁場でなくとも、
二人の孫を相手にするのは、限界がある。
それを表に出すのも癪だ。
懸命におもてなしに徹するしかない。
近くの公園で遊ぶのも、
まだ歩き始めたばかりの孫は、
しょっちゅう抱っこすることになる。
娘はスマホで我が子の写真を撮るのに夢中だから、
じいじがなけなしの元気を奮っていることを察してもくれない。
ニコニコと幸せそうな笑顔のじいじを見て、
孫相手にハッピーになってるんだなんて
思っているんだろうな。
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夕方妻が帰宅すると、
お役御免とばかりに、
食事作りに徹する。
料理は昔取った杵柄というべきか、
全く苦にならない。
時々駆け寄ってくれる孫に、
愛想笑い(?)してやるのが精いっぱい。

幸せな気分を手に入れるのも、
いやはや大変なのである。(ハハハハハ、はぁ~~)

夏野菜

少し曇りがちだが
いい天気。
畑へ直行。
周囲の草を刈る。
日差しがないから暑さが鈍い。
苦もなく草刈りは進む。
頃合いを見て畑へ。
この間から
ナスやピーマン
ししとうなどがとれ始めた。
今日もいいサイズのものが
ぶら下がっている。
今夏は準ような生育だ。
ここまで茄子の木(?)を育てられたら、
これからかなりの茄子がとれる。
ピーマンも出来がいい。
「どやねん」
誰もいないのに、
どや顔で振り返っていた。(クスリ)
隣の畝にトウモロコシが並び立つ。
これも今回はあてにしてよさそうだ。
いやいや、これから要注意しなきゃ。
昨年は、
さあ明日収穫しようとしたら、
翌日発見した嫌な光景。
トウモロコシの実は
すべて収穫済みになっている!
ところどころトウモロコシの木(?)が、
根こそぎなぎ倒されていた。
イノシシのしわざ、もしかしたらヌートリア?
犯人は証拠を残していない。
あんなショックを呼ぶ目撃は御免だ。

帰宅したのは5時前。
夕食の準備だ。
茄子とピーマンなど新鮮な夏野菜は、
焼くか素揚げして、
醤油か塩、ポン酢で食べることにした。
メインは揚げ豆腐の甘酢あんかけだ。
いかんいかん。
自分の好みを調理してしまいがちになるなあ。
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五百羅漢

北条小学校と中学校に挟まれた
路地を歩いていくと
羅漢寺の脇に出る。
通り過ぎながら塀越しに境内が一望できる。
北条石仏として有名である。
子供のころから、
もう何度訪れたか、
今は亡き
一つ違いの兄にくっ付いて行ったのが初めてだ。

境内に居並ぶ素朴な彫りの石仏が魅力的だ。
実際は459体確かめられているが、
その数をイメージしたのか五百羅漢と呼ばれ
地元の代表的な名所になっている。
表情が違う石仏を見ていくと、
そこには思い人の顔を発見できるという。

石仏の間から顔を覗かせた子供を
写真に写したのを思い出す。
巣立った子供たちが、
羅漢さんと一つになった写真がアルバムにある。
実は父親である私も
子供時代に同じようなことをしているのを、
古い写真が証明している。

近いうちに、
初孫を連れてきて、
同じポーズの写真を撮ってやろう。
親子三世代の、
写真が並ぶのは感動ものでもある。
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