メロメロ話

初孫襲来!
じゃがいもを掘りに来いと
約束していたので、
朝から「おばあちゃんとこへ行く!」と
かなりうるさかったらしい。
おじいちゃんが登場しないのはがっかりだが、
孫の顔が見られれば、
それでよし!

雨が降るかなと心配だったが、
孫を歓迎するかのように、
時々日が差す
最高の空模様。

孫と畑に入る頃には、
暑いぐらい。
可愛い長靴姿の孫、
おっと三歳児の女の子です

じいじとばあばと孫の共同作業だ。
先週にひと畝を残して
収穫済みの畑。
孫のために残しておいたジャガイモの畝は、
葉っぱと茎もすっかり枯れている。
「ほら引っ張ってごらん」
絵本「おおきなかぶ」よろしく、
うんとこしょどっこいしょ!
「ワァー!おいもだ~~!」
孫の輝いた顔が、最高にいい。
じいじ冥利に尽きる一瞬だった。

お昼はカレーうどん。
孫にはちいさいオムライスをと思ったが、
なんとカレーうどんが気に入ったらしい!、
初めて口にしたらしいが、
「もっともっと」と
三度もおかわりしたのだった。
甘口じゃなく中辛にしたのに、
あぜんと見やってしまった。

ちなみに、
家に戻っての夕食に、
「じいじの家で食べたのがいい!」
とカレーうどんをせがんだらしい。
やっとじいじが孫の口に上がったのを、
単純に喜びながら、
娘のメールに
孫の笑顔を重ねていた。(メロメロ)
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神頼み

いよいよ迫った文芸祭。
展示会場のレイアウトを決め、
必要なパーツを準備した。
7月1日に展示を済ませる予定だ。
用意にかかりすぎ、
最近はウォーキングもままならない。
またメタボバラが
目立ち始めた気がする。
なんとかしなきゃ~!

天気の怪しいのが続いているが、
29日は、初孫がやってくる。
ジャガイモを
一緒に掘るプランを立てている。
雨が降れば、
中止はやむを得ない。
顔も見せてくれないかもしれない。
あ~した、天気にしておくれ~~♪
もはや神頼みのじいじである。(笑)
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親だから

この春、
末の娘が就職。
これで四人の子供は
みな巣立ち、
ほっとした。
ただ子供たちの
その後が気になるのは
親だから仕方ない。
 長女は結婚したが、
息子二人にそんな話は全くない。
三十代と二十代後半で、
仕事にかまけて
それどころではないのかもしれない。   
実は私も結婚は遅い方。
人見知りが激しくて、
結婚どころか
女性と付き合うなど論外で、
結婚は諦めていた。
息子らも
父親に似た性格だから、
生真面目に仕事を続けるだけの
青春を送っているだろうと、
容易に想像できる。
 親として
何かしてやれないかと思うが、
その方法は考えつかない。
結婚しない男性が
溢れているという世の中、
わが息子だけに
過大な期待を
押し付けられないのも事実だ。
 とはいえ、
やはり息子に
人並みの恋愛と結婚を望むのが
親心だ。
一度は結婚を諦めた私に
逆プロポーズしてくれたのは、
身近にいた女性。
息子らの身近にも、
そんな相手がいてくれたらなあと、
心から願ってやまない。
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サポーターとして

本年度の生活支援サポート養成講座最終日。
活動体験を伝えるために、
社協からの依頼で出向いてまいりました。
予想はしていましたが、
養成講座の受講者は10名前後。
新しいサポーター仲間は
益々貴重な存在になってきました。

サポートする側も高齢者、される側も高齢者という、
老々サポート状況は不変のようです。

阪神大震災でボランティア初体験して以来、
いろんな形でのボランティア活動に参加していますが、
寄る年波、
出来ることは年々限られて行く自覚があります。
それでも、体の動く限り、
誰かのために動ければとの思いは、
益々強くなります。

明日はゴミ出しのお手伝いに出動です。
約束の時間は守らなきゃ!
いま12時30分。
いつもなら、4時ぐらいまで起きていますが、
今夜はもう寝ることにします。
皆さんの明日がより良きものでありますように。

おやすみなさい。
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うまいものづくり

裏の畑でポチは鳴きませんが、、
ジャガイモを掘り起こしました。
小指の先ぐらいの
小さい物から、
げんこつ大のものまで、
ゴロリ、コロリ、コロコロと。

早速
新ジャガと、
この間収穫して
干している新タマを使って、
ポタージュ作りにかかりました。
小指の先の大きさのイモは、
むくのが面倒と、
そのままオープンレンジで蒸し上げました。
その状態だと、
皮むきは簡単簡単。

玉ねぎのスライスしたものを
バターで炒めて、
小麦粉を加えて、
また炒めます。
その上に牛乳(わが家は安い低脂肪乳を使用)

ほどよく上がったところを、
固形物を取り出し、
フードプロセッサーでドロドロに、
鍋に返して混ぜれば完成!
調味はコンソメ(切らしていたので、ガラスープで代用)
塩コショウと、ごくごくシンプルに仕上げちゃいました。
これも冷凍庫で保存です。
食べる際に牛乳で伸ばして、

さあスープを、
頂きます!
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やれやれ

まだ梅雨入りの声を
聴かない
変な気候に、
家族が体調を崩し気味。
その影響で、
食事の用意も
しっちゃかめっちゃかと
ままならない。
いくら作っても、
食欲不振では、
食べて貰えない。
いまや冷蔵庫は、
残り物の倉庫と化している。(苦笑)
キャベツのコールスローも、
出番待ちが続き、
賞味期限(?)が!

仕方がない。
お好み焼きにして
冷凍保存にしておこうっと、
薄力粉と卵などを調整して
キャベツをドバーッ!
もやしもドバーッ!
ねぎの微塵切りに
紅ショウガ、カツオと
目につくもの、
みんなドバーッ!(笑)
これぞお好み焼きだなと
自己満足。
焼くのはフライパン、
一枚一枚流して、
パソコン作業をしながら、
焼き加減を観ながら、
裏返して、
またパソコンに。

つごう一時間茉莉。
10枚ほど焼き上げた。
もちろん、
途中、一枚を味見。
(美味い!)

とはいえ、
すぐに家族の口には
入れて貰えない。
三枚ずつ密封して冷凍庫へ。
一件落着である。

日常が、
早く取り戻せることを
願ってやまない~~!

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余生を歩く

定年退職して、
しばらくすると、
「ハッ!」と気づいた。
何にもないのだ、
自分のすることが。
したいことも…ない。
家でゴロゴロも、
長くなると飽きるし、
家族の嫌みを
聞き流しながらで、
空しいだけだ。
(これは大変だぞ。
まだ十年以上も
生きていかなければいけないのに、
どうする?)
 ふら~っと家を出た。
目的もなく歩いた。
いつの間にか
辿り着いたのは……。
 廃止寸前まで追い詰められながら、
図太く生き残った
国鉄赤字ローカル路線。
今は北条鉄道に変身して
一時間に一本
レールバスを走らせている。
その始発駅、
北条町駅の駅舎だった。
高校の通学や
勤め始めた加古川へ行くのに、
毎日利用した駅舎は、
もう跡形もない。
立派なビルになっている。
 ふと思いついた。
学校につながる
乗り継ぎ駅まで
五つの小さい駅がある。
その駅舎は
どうなっているだろうか?
懐かしい思い出を
追っかけ巡ってみよう!……かと。
 線路に沿って歩いた。
田園地帯のど真ん中を
縦断するレールバスの軌道の側道や、
農道、あぜ道…と、
その場任せで歩いた。
 時々レールバスが
一両仕立てでとことこと走る。
のんびりした風景が続く。
いつしか
心は穏やかな癒しを
手にしていた。
 北条鉄道の終着駅、
粟生駅に辿り着いた時、
わたしが
余生の日々に感じた焦燥感は
微塵もなかった。
胸を張ると、
生きている実感があった。
晴れ晴れした気持ちは
いつ以来だろうか。
プラットホームに
レールバスが到着すると、
ぞろぞろと乗客が降り立った。
学生の姿がかなり目立つ。
わたしが通ったように
彼らも頑張っている。
あの頃の記憶が
鮮やかに蘇る。
あの日以来、
ローカルトレイン北条鉄道の
沿線ウォークは、
今も続いている。
生きることで
あくせくする日々のストレスを
忘れさせてくれる。
四季折々の魅力を
惜しげもなく楽しませてくれる、
何とも贅沢な散歩である。
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ありのままに

中学に上がる前から
眼鏡を必要とする近眼に。
黒縁に
牛乳瓶の底を思わせる
分厚いレンズと、
どうにも
恥ずかしくてならなかった。
 そのせいで
女性にはとんと無縁の
寂しい青春だった。
思い切って
コンタクトに替えた。
 すると
不思議に女性にモテた。
彼女もそんな一人で、
結婚まで考えた。
ところが、
喫茶店でデートを楽しんでいた時に、
急に目が痛んだ。
前夜徹夜仕事で、
コンタクトをズーッと
はめっ放しだったせいである。
慌ててコンタクトを外した。
すると
相手の顔が見えない。
仕方なく
ポケットに忍ばせてあった眼鏡をつけた。
あの黒縁のである。
「わたし眼鏡の男の人嫌いなの」
 彼女が最後に残した
キツイ言葉だった。
 また眼鏡に戻った
。無理に見た目に拘っても、
所詮
無駄な足掻きなのを知った。
ありのままで生きて、
縁がないのなら諦めよう。
そんな私を酔狂にも受け入れた妻は、
三十年以上
眼鏡の旦那に付き合ってくれている。
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次へ

まちライブラリーのミニコミ紙の
7月分が出来上がりました。
また、明日から配布に
駆け回ります。
暑い中、スタミナが続くかどうか、
年齢を加算のたびに、
自身喪失の一途です。
昨日は久しぶりに
ふと巻きずしをまいてみました。
便利酢を使いましたが、
これが適当な味に仕上がりました。
家族にも好評で、ホッです。(苦笑)
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きっかけ

 激しい人見知りで、家族に甘えることもできない、可愛げの欠けた子供だった。
 小学校も教室で、いつもひとりぼっち。先生にも構われない、寂しい五年間を送った。
 六年生になった早々、授業中に教科書の白い部分を埋め尽くす落書きを見つかった。恥ずかしさでカァーとなり、怒られると思い体が固まってしまった。すると頭を撫でられた。
「おまえ、絵がごっつう上手いのう」
 優しい先生の声。かけられた記憶は殆どなく、忘れていた。それが驚くほど優しい声なのだ。しかも、私は褒められた!初めて。
 一学期が終わる日、先生は教壇に呼びつけ、級友の前でまっさらなノートを五冊くれた。
「おまえの絵は上手いんやから、教科書の端っこより、白いページに描かな勿体ないわ。得意なもん伸ばすん、先生の仕事なんや」
 おちょける先生の顔を思わず見上げていた。
 人生を変えてくれた先生との一期一会。あの出会いが私の人生の道しるべになったんだなあ。
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詩の時間

酔狂にも
詩を書いてみた。
詩というよりも、
こりゃ単語の羅列だな。(笑)

波紋

ポイッと投げた
ポチャン!
ちいさな波紋
そして
しずかに消えた

なんの
跡形もなく
波紋は消えた

そして
またポチャン!

繰り返し続けた

おおきな波紋は……
一度も
起こせなかった

それが
わたしの人生だった
わたしの幸福だった

しとしとしと

また雨だ

しとしとしと

予定は流れる



この日は

きょうしかないのに

未練

たらたらたら



出不精が

輪をかける

うつうつうつ



明日は

晴れるらしい

でも

予定はない

さて

どうしたものか
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助けられて

 二人きりの兄弟だった兄が事故で急死。気落ちする両親が気になり、帰郷した。たったひとり残った息子がそばにいれば、すこしは気休めになるだろうとの思いからだった。
 先祖伝来の田んぼを潰して、わが家は建った。ブリキ職人の父は家づくりを差配することで、気力を取り戻した。建築現場に毎日通い続けた母の笑顔も、しだいに増えた。
 帰郷してすぐ授かった赤ちゃんを、共働きの親に代わり、母が面倒をみてくれた。「ちゃんと世話するさかい、安心して働き」上機嫌で宣言して見せた母である。息子夫婦に頼られることが、生きる張り合いになったのだ。
 家が完成すると、なんと母は毎朝赤ちゃんを迎えに来た。手ぶらではなく、朝収穫した野菜を胸に抱えての日参である。
「いつも済みません。こないに気を遣うて貰い、ほんまに助かってます」
「なに言うとんやいな。母親がセガレの家族の助けになれるんは、そら幸せなこっちゃ」
 母と妻の会話に耳を傾け相好を崩す私。
「気持ち悪い。なにニヤニヤしてんねん?」
 長女のからかいに、Vサインで応えた。
 七年前、母は亡くなった。九十三歳の天寿全うである。亡くなるまで数年、車いす生活を送った母を、しょっちゅう外へ連れ出した。
「ここのうどん美味いなあ」「この店は安いんじゃ」「お前らも、なんか買うたるよって」
 買い物が昔から好きだった母のはしゃぎっぷりが嬉しかった。
 母が亡くなった日の深夜、私は立ち会った。母の手をさすり続ける父のそばで、母の最期から目を外せなかった。伴侶の死に落胆する父の体を支え、永眠した母に頭を下げた。
(親孝行できんで悪かったなあ、母ちゃん。兄貴みたいにええセガレになれなんだわ。そいでも、ちゃんとそばにおったやろ。なあ)
 不肖の息子は、懺悔を繰り返した。
「ほれ、タケノコ食えや」
 やはり父も母と同じ、いつも手に土産がある。好々爺ぶりは相変わらず健在だった。
「子供らおれへんし、わしと嫁はんじゃ食いきれんわ。顔だけ見せてくれたらええんやで」
「なにぬかしとる、遠いとこにおるわけやなし。家のそばにおってくれよる息子にうまいもん食わせたい思て、なんも悪うないやろが」
「そらそうやけど」
 とりとめない父と息子の会話は、いつも同じなのに、その時間がいつまでも続けと願うようになった。年を取った証しである。
「お前が近くにおってくれよるさかい、わし長生きできとるがい。有り難いこっちゃ」
 父の言葉に胸を直撃され、痛かった。
(すまんのう。親父の近くにおるだけが、わしの親孝行やなんて、恥ずかしいけどのう)
 そう思ったのはいつだったか、脳梗塞に父が倒れたのを境に思い出せなくなった。病床の父を見舞うと、必ず自分に問いかけてしまう。そして、胸の内で呟き返す。
(そいでも親父の息子なんや、俺は)
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父親の後悔

「帰ったらすぐに手を洗ってうがい」「歯磨いたか?」「顔洗わんと不潔やぞ」
 子どもたちにそれは細かく指示する私を見て、
「あんた、ちょっとうるさくない」
 女房が子どもに同情したのか、いちいち文句を言う。
「バカ、健康に関しては少しぐらいうるさく言ってもいいの。親の務めじゃないか」
 と、気取ってカッコをつけたまでは良かったが、
「年がら年中風邪引き込んで、不摂生の典型みたいな親はどこのだれだっけ」
 この奇襲攻撃にはグッと詰まる。
「だ、だからだ、子どもだけは同じ目にあわせたくなくて」
「そんな気持ちがあるなら、ご自分からお手本を見せていただけないでしょうか?それでこそ親だと思うんだけど、違う?」
「わ、分かったよ!やってやろうじゃないか」
 以来、子どもの先頭に立って手洗い、うがい、歯磨きをセッセ。この義務感でやるのって、案外つらくて大変なんだ。してやったりと言った女房の顔が恨めしい限りだ。
 ああ、そんな日々を送っていたっけ?

そんな身勝手な父親の愛(?)を受けて育った子供たち。4人も子供がいるというのに、今や親のそばにいてくれるのは末娘だけ。息子2人など、ボン正月にすら家に戻ってこない始末。身勝手で気ままな父親に愛想をつかしたのか、はたまた忙しすぎるのか?時々チラッと頭をよぎる困惑。
 知人が息子と飲みに行ったとか聞かされるたびに、後悔の念につまされる昨今である。
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ニコニコ、ニッコリ!

16日11時からイベントをスタート!

朝8時過ぎに会場入り、
早速会場づくりにかかった。
ロビーのスペースを確保。
パネルを立て、
カーペットを敷き詰め、
最終セットに取り組んだ。
おかげで9時半に完了。
あとはお客様待ち。
参加のスタッフは5名と、
まあまあの陣容だ。
打ち合わせも滞りなく済ませた。

そして10時半。
受付に親子がやってきたー!
嬉しい光景だなあ。(マジな感想)

20名近く……夢見心地で迎えたのである。


子供たちの笑顔に、
お父さんお母さんとらくがきを楽しむちびっこの姿、
いやー、やってよかった、このイベント!

深夜1時15分。
体のあちこちが痛い。
かなり体を駆使しすぎた一日だったのだ。(フー、でもニッコニッコ)
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ウサが晴れる

 わが家の夫婦喧嘩、プイっと家を出ていくのは私。年を取ってから益々そうなった。
 車を飛ばして気晴らしするようなことはしない。歩くのだ。地元の大型スーパーまで歩けば七千歩。鬱憤を晴らすにはもってこいの距離である。むしゃくしゃしていても、それだけ歩くうちに忘れてしまう。
スーパーでは、食品売り場をそぞろ歩く。ヤケ買いはせずに見るだけ。年金暮らしの身、イライラしていても、節約は忘れない。見るだけショッピングでも、結構楽しいのだ。
目玉商品や値引き商品を見つけては、手に取ってみる。賞味期限は?産地は?パッケージに情報がいっぱいだ。調べ始めると、もう夢中になってしまう。
それに地元だから、同じ高齢者仲間と出会う。頭が白くなった男たちの井戸端会議ならぬ売り場会議でストレスも解消だ。
家に帰れば、妻の苛立ちも影を潜めて、いい雰囲気。夫の留守で気分転換できたのだ。

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直前

日曜日のイベント『らくがき大会』の
最終準備がやってきました。
朝9時には会場へ荷物を運び、
12時までに仕上げなければならないのです。
土曜日、働き改革の影響もあってか(?)
助っ人はなし。
孤軍奮闘しなければ。
ただ明日は雨の予報。
段ボールの箱を使ったパネルを運ぶのに一苦労しそう。
弱音を吐いてる暇はなさそうだ。
子供たちの笑顔を想像しながら、
頑張ってみるしかない。

どちらにしても、
何かを懸命にやっていれば、
煩わしいことを考えずにすみます。

おっと、もう深夜二時。
いつもなら4時までねないけれど、
今日はそろそろ寝ることにするかな。
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事故はいきなり

最近、高齢者による交通事故がやけに多く報道されているが、私は最近車に乗る機会が滅多になくなった。まだ返納まで至っていないが、極力運転しないように心掛けているのだ。外出は、歩くか自転車にしている。そんな立場になって、車の横暴ぶりに、恐怖する日々を送っている。(交通弱者への思いやりなど、かけらもない現実に、交通事故多発もやむなしと思わざるを得ない。イヤハヤ)

何年か目に、私も交通事故にあっている。その時の記憶は今も鮮明に思い出す。
 ガクッ!いきなりの衝撃が来た。(えっ?なに?)と呑気過ぎる反応は意外だった。
 愛車の横腹を、横道から飛び出した車に直撃されていた。弾みで車体は一回転、道沿いにあった倉庫の壁に跳ね返され、横倒しで対向車線を遮る恰好でようやく停止したが、何が起こったのか理解できぬままだった。といって狼狽えは全くしなかった。時間が止まって見えたといっていいのかも知れない。
 現実を取り戻すと、体が宙づりになっているのに気付いた。シートベルトに縛られた状態だった。下を見ると娘の目に出会った。通学のため、最寄りの駅に送る途中だった。
「大丈夫か?」「うん」「よかった」
 助手席の娘を見下ろす形で、なんとも場違いに思える父と娘の冷静過ぎる会話だった。
 救急車が来るまで、父と娘の睨めっこは続いた。まるで遊んでいるかのような錯覚を覚えた。事故に遭遇した危機的状況なのに、普段と同じ、興奮も切迫感も、まるでなかった。
 救急車が来ると、親子は問答無用で引き離された。緊急搬送された病院で、上着も下着も切り裂かれ丸裸にされるがままだった。
「〇〇さん!痛いところありませんか?」「返事して下さい!」「吐き気はありますか?」
 矢継ぎ早に救急医療スタッフに問いかけられた。それにすかさず反応できるほど器用ではない。(なんだよ)と問い返す間もなく、МRIのマシーンに放り込まれていた。
「あの子、かなり離れた病院に運ばれてね、大変な目にあったんよ。泣いてたわ」
 駆け付けた妻が口を挟ませない勢いで、娘の状況を克明に喋りまくった。「うん、うん」と頷くのが精一杯だった。結局、家族以外の面会が許されない入院生活を、一週間送り。頸椎捻挫の検査などを繰り返し受けた。
 周囲がバタバタしているのに、当の本人はケロッ、実に冷静そのものだった。
 交通事故の被害者が、徹底した俎板の鯉にされる体験は、二度と味わいたくないなあ。
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お姉ちゃん妻?

「仲のいいご兄妹ですね」
 そんな勘違いを
しょっちゅうされた結婚当初。
十三歳若い妻と外出しては
間違われてばかり。
いちいち弁解するのも面倒だし、
悪戯心もあって、
兄妹で通そうと決めたものだ。
 妻は一人っ子。
二人きりの兄弟だった兄が、
若くして急逝、
その後は
一人っ子状態だった私。
そのせいか
甘えん坊の似た者同士。
それでも年齢が上の私は、
年を食った分だけ
頼られる立場だった。
妹に甘えられる兄という設定が
自然に出来上がったのである。
「しっかりしたお姉さんやね。
頼りがいあるやろ」
 最近、
会う人あう人が、
こぞってそう言う。
 無理もない。
五十代半ばから、
夫婦の立場は逆転。
四人の子供の母親を経た妻は、
逞しく変貌したが、
一方の私は甘えん坊のままで
成長はとまってしまった。
当然の逆転である。
「頼りない弟も、
それなりに可愛いわね」
 妻の皮肉は、
ますます調子づいている。 
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ホ、ホ、ホタルやんか

闇に目を凝らしていると、
ポッとともった蛍の光。
ゆっくりした動きで
宙をツーッと飛んだ。
はかなげな光から
目が離せない。
 ここ数年、
見られなくなった蛍。
圃場整備や農薬散布の影響で
姿を消したと諦めていたが、
先日、
庭の雑草を抜いていると、
草の根本に
蛍の卵を見つけて、
胸がきゅんとした。
 我が家の庭は、
ここ数年、
こぼれだねの草木が目立ち始めた。
生い茂る草木に、
自然の復活を感じたのは
正解だった。
カエルや蛇などの生き物が
顔をのぞかせ、
ついに蛍まで、
私の目の前で
舞ってくれている。
 昔には普通に庭で見られた
蛍が乱舞する光景は
望むべくもないが、
一匹の蛍が復活したのは
嬉しい限りだ。
 昭和に生まれ
平成を生きて、
世の中の進歩と利便性を
目の当たりにしてきた。
半面、
自然の衰退も味わされた。
 古希を迎えたいま、
自然の復活の一歩として、
蛍の光の瞬きを目撃、
幸せを覚える。
 
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年金暮らしエッセ

「どないしたん?もう出かけるん?」
「買い物や。モールへ行って来るわ」
「あ?そうか、今日は火曜日だっけ」
「卵デーや!」
そう、今日は近くの大型スーパーで卵の安売りがある。一パック税込み105円、魅力的な価格だ。昔は卵の安売りを集客の目玉に据える店が多かったが、消費税八%になると現金なもので、特売の目玉だった卵は姿を消した。昔も今も安価な卵は庶民の味方だったのが通用しなくなった。それでも、この大型スーパーは、しっかりと安売りを続けている。
地域を代表するショッピングモールの中核を担う大型スーパー。数年前まで二十四時間営業だったのが、原発事故の影響で、朝七時から夜十一時までに変更された。それでも近隣からの客足はさほど減らない。
 七時を待って大型スーパーは開店する。自動ドアが開くと、脇目もふらず卵売り場へ急ぐ。同じ目的の客と抜きつ抜かれつである。
 ラックに山と積まれた卵を一パック、すかさず確保すると、レジに急ぐ。早朝レジの稼働は二台のみ。最初は卵目当ての客ばかりで、スムーズに通過できるが、八時前後になると、レジは嘘みたいに混みだす。急ぐ必要がある。
 十パックは買う計画である。おひとり様一パック制限をクリアするため、レジを通過した足でまた売り場に取って返す。
 五,六パック積み込んだカートをレジ近くに止めて置き、往復の手間暇をケチる不届きな客がいる。馬鹿正直者には無縁の所業だ。ひとり来店が明白にも関わらず、レジ突破を図る輩も目立つ。
「おひとり様一パックにさせて頂いてます。お連れ様はいらっしゃいますか?」
「ほい。あっこに待たしとる。あれ?おれへん。仕様ないやっちゃ、そこにおれ言うとんのに。年寄りやさかい許したって。どっかで休んどるんや」
 レジ係も毎回のことだから心得ている。確認の言葉をかけておけば、仕事して充分なのだろう。とはいえ、嘘も方便と要領よくレジを切り抜ける輩の真似はとうてい出来ない。根が生真面目、いや小心者の私である。
「おはようさん」
 レジに並ぶと背後から挨拶が。定年まで勤めていた工場の同僚で五つ年長の彼、しょっちゅうこのスーパーで顔が合う。アパートに一人住まいだから、買い物は自分でやるしかないらしい。それも贅沢できない年金生活、安売り卵の購入は必須である。
「あんたも卵かいな?」
「そうや。安うて万能で、美味いと来てる。卵さまさまやわ」
 小柄な体が一層しょぼくれて見える。
「一パックあったら、一週間は持つさかい」
「なに言うとんや。一パックじゃ足らへん。うち三人家族やけど、きょうは十パック買う」
「そないようけ買うて腐ったら勿体ないが」
「アホ言うない、腐らすような下手すっかい。卵があったら、おかずがのうても、どないかなるやろが」
「……賞味期限切れたら……?」
「そんなもんべっちょないわ。加熱したらなんぼでもいけるで」
 卵は重宝だ。卵かけごはんを食うときは、ちょっと賞味期限を気にするが、卵は本来焼いたり茹でたりして食べる。期限が切れたら加熱するを徹底すれば安心だ。
 一概に卵焼きと言えども、かなりバラエティに富む。厚焼き、出し巻き、オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。まあ飽きることはない。そうそう、最近卵を使ったスィーツをよく作る。中でもプリンは自慢の一品だ。
「このプリン売ってるもんより美味いやんか」
 皮肉屋の妻が褒めそやすぐらいだから、自家製プリンは本当に美味い。冷蔵庫に作り置きしておけば、甘いものに目がない、わが家のオンナどもが消費してくれる。勿論旦那だって、酒やたばこと縁切りして以来、寂しくなった口を補ってくれるのは甘いものだ。   
プリンつくりで卵以外の材料は牛乳、生クリーム、砂糖、バニラエッセンス。生クリームは少々高いが、値引品を手に入れて賄う。生クリームを入れるか入れないかで、プリンの風味にすごい格差が生まれる。よく混ぜて裏漉し、容器に詰めて蒸すだけだ。
百円ショップで一人分に頃合いの容器を見つけて、三十個も大人買いして妻に叱られたが、容器に納まったプリンの上品さに、すぐ妻の機嫌は直った。見た目もいいが、とにかく使い勝手がいい容器である。
 七パック目になる頃、レジは混雑を呈する。卵だけではなく他の商品をガッポリ買い込む客の後ろへ並ぶはめになると、時間は止まる。
「あんた、それだけかいな?」
「はあ、そうです」
 カートに商品山盛りの客が振り返って、声をかけてくれたらシメタものだ。人情に縋る。
「先にレジしなはれ」
「ええんやろか。おおけに。すんません」
 人の好意は素直に受け取る。断れば相手の好意を台無しにしてしまう。頭をちょっと下げて礼をいえば事足りる。世の中は結構いい人が多いと感謝の気持ちを忘れないことだ。
 十パックの卵を助手席に積み上げて、ホーッと息を吐く。大仕事は終わった。思い通りの数量を手にできて満足この上ない。
 帰宅して意気揚々と玄関を開ける。
「お帰り。どないやったん?」
 待ち構えていた妻が成果を問い質す。
「ほれ見てみい。十パックや、十パックやで」
「さすが!えらいえらい」
 口とは裏腹に呆れているのは明白である。(安売り卵十パック買うて自慢かいな。ほんま恥ずかしいないのん)が本音。定年で現役引退してからこっち、お馴染みの反応だ。
「ほなら、いまから買いものに行って来るわ」
 妻の出番だ。卵以外の買い出しは、妻の役目である。
「あんたに買い物任せといたら、お金がなんぼあっても足りひんわ」
 一度買い物を引き受けた時、買って来たものを検品した妻は深いため息をついた。男と女の埋めようがない経済観念の差を思い知らされた一件である。
 結局、卵とか砂糖の特売品タイムセールだけにお呼びがかかるようになった。気の短い妻は並ぶのが嫌なのだ。まして安売り卵目的では自尊心が傷つくと思うのかも知れない。「お昼やで。行くの行かへんの?」
「慌てんでええ。売り切れたら雪が降り寄る」
 最近はいたって呑気に特売日を迎える。
 数年前から安売り卵の購入条件が変わった。千円以上の買い物でおひとり様一パック限定。これではそう簡単に卵を買いに行けない。隔週で一パック買うのが精いっぱいである。
 それにしても、安売り卵を手に入れるため、あの手この手を駆使したのが懐かしい。刺激がなくなり、ボケるのも早くなりそうだ。
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墓参で

「伯父さんの生まれ変わりや、よう似とる。伯父さんは、そら真面目で孝行息子やったぞ」
 何かにつけ、伯父と私を重ね合わせた祖父。
 太平洋戦争中にビルマで戦死した伯父の名前から一字貰ったわたし。伯父を知ったのは、仏壇の上に掲げられた軍服姿の遺影と、村の共同墓地入り口に居並ぶ戦死者の墓碑からだった。二十九歳、陸軍上等兵、ビルマ戦線にて戦死と刻まれた墓碑は、盆の墓参りが来るたびに、胸の内で読み続けている。
「伯父さんはのう、そら親思いで、優しかったのう。よう勉強もできたし、仕事かて、誰にも負けん頑張り屋やったわ。うん、うん」
 祖父の脳裏に刻まれた息子の姿は、世界一輝いていたのだ。
 働き者の祖父は、農作業や山仕事に必ず孫を手伝わせた。兄とわたしは、手取り足取りで百姓仕事を教え込まれた。
「伯父さんは泣き言ひとつ言わなんだぞ」
 まだ子供の兄とわたしが仕事を怠けると、祖父は伯父を持ち出しての小言だ。野外で遊ぶのが好きな兄と違い、家の中で読書や絵をかいたりする方だったわたしは、やはり百姓仕事がうまくできずに失敗した。野山で弁当を開いたとき、祖父はわたしが大好きな卵焼きを余分にくれた。空を見上げると、穏やかな口調で語った祖父の姿が、記憶に鮮やかだ。
「お前は、いつか伯父さんみたいになりよる。失敗したかて諦めたらあかん。あいつもそうやって大きくなりよったんや。……逝ってしまいよったが、ちゃんとお前に引き継いでくれとる。ほんまに、伯父さんと瓜二つや」
 祖父は亡くなるまで、わたしにかなり厳しかった。半面わが子を見守る優しさが、見守る祖父の笑顔に込もっていたのを思い出す。
 祖父の戒名が刻まれた位牌を前にすると、矍鑠然とした祖父の姿を思い出す。いま手を合わせ、ようやく心の底を打ち明けられる。
(伯父さんを超えたで。いまやったら、俺に文句言うことないやろ。なあ褒めてくれよ)
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父親冥利?

「父親のあとを継ぐ息子で。いいよな」
 思わず呟いてしまった。ニュース画面の伝統木工品を作る親子の作業風景に、ついジェラシーを覚えたのである。
「継がせられる程御大層な仕事やってた?」
 妻の皮肉。口惜しいが反論できない
思い返せば、本屋の店員、コック、喫茶店でバーテンにマネージャーを経て独立、喫茶店オーナーになったが十年で閉店。あとは木工会社、2×4工法の大工見習。
その後、調理の世界に戻り弁当製造工場で定年を迎えた。最後はスーパーのパートと変化に富むが、とても自慢できたものじゃない
 こんなザマで「親のあとを継げ」とは、口あんぐりな反応を受けて当然なのだ。
「でもさあ。うちの子供ら、ちゃんと親と同じ道を歩んでるよ。幸せに思わなきゃ」
 そうだった。息子は居酒屋の店長、父親の調理師とは異なるが、同じ外食産業の一員なのは間違いない。そう解釈を成り立たせた。
「何やかや言っても、子供って親の生きざま見せつけられて育ってるんだからね」
 悟りきった口調の妻。そりゃそうだよな。長女は介護福祉士、次女は保育士で、保育士をしながらボランティアにもいそしんだ母親のあとを、しっかりと継いでいるのだから
妻のどや顔も不思議ではない。
「大局的に考えれば、父親の仕事をなぞってくれてるんだ。やっぱり俺の息子なんだな」
 自分を納得させても、複雑な心境のままだ
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おかあちゃん、そして

可愛げのない子供だった。人見知りが激しく、家族にすら他人行儀に構えてしまう変な性格だから、そう見られてしまった。

 小学校に入っても全く変わらず、友達はできず、いつもひとりぼっち、朝起きると、学校へ行くのがいやでいやで堪らなかった。「おなか痛い」「頭が痛い」しょっちゅう仮病を使って休んだ。「ずる休みしょったら、ええ大人になれんぞ」と最初こそ宥めすかした両親も、何度も繰り返される息子の仮病に、何も言わなくなった。当時は日本全体が貧しく、暮らしに追いまくられて、子供にいちいち構っている余裕はなかったのだ。

 その日も朝早く田圃仕事に出かける父と母。布団にもぐっていると、母の声がかかった。

「おむすび握っといたから、腹減ったら食うときや。なんもせんでええさかい、ちゃんと食べるんやで」

 いつも思いやりが込められた母の声。それでも甘えることのできない子供に、母性愛がなす優しさは届かない。布団をかぶったまま、人の気配がなくなるのを、ひたすら待った。

「ほんまに、お前は母ちゃんの子じゃけ、しゃーないわのう。母ちゃんそっくりなん、嬉しいけんど、お前が困りよるなあ」

 その日、母はかなりお喋りだった。『母ちゃんの子じゃけ』の言葉を聞いて、布団の中で固まった。耳に意識が自然と集中した。

「母ちゃんの悪いとこ、似てくれんでよかったわ。そいでも、母ちゃん悪い思うとるんじゃ。もっとえらい母ちゃんやったらよかったんに、ごめんな、勘弁したってや。そいでも、お前はやっぱり母ちゃんの子じゃけ、他人様に負けへんわ。大きゅうなったら、分かるやろけど、母ちゃん負けん気だけは強いねんで」

 饒舌な母を見たのは、この時が最初で最後である。元来無口で人付き合いに不器用な女性なのだ。間違いなく、私の母親だった。

 九十三歳で亡くなった母。病院のベッドでゼーゼーと断末魔を迎えようとする姿を見守りながら、二人きりで一夜過ごした。母は私が息子だと分かっていた。カァーっと見開いた目を逸らせなかった。睨めっこをしていると、いきなり母の声が脳裏に木霊した。『母さんの子じゃけ』懐かしい響きが蘇る。

 あの日がスタート台だった。成長の浮き沈みを『母さんの子じゃけ』で乗り切ってきた。性格は一向に変わらなかったが、母から受け継いでいるのだと、胸を張る日々を送った。結局、母の負けん気と逞しさが、今の私を導いた。人生を無難に乗り越えられたのは、母のおかげだと信じている。

「おれ、母さんの子じゃけ。心配せんでええ」

 死を目前にする母に訴えかけた。すると、母が頷いた。幻想だったのかもしれないが、その刹那、悲しみがドーッと襲った。

「アホ!母さんの子じゃろ。人前で涙見せたらあかん。他人さんに弱音見せたらあかんで」

 勝気な母の小言が、耳に飛び込む……!

 深夜寿命が尽きた母の手を、さすり続けた。


追伸
いよいよらくがき大会が迫ってきました。
私が担当するイベントです。
みなさんも時間があれば、
ちょっと覗いてみてください。
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おじいちゃん?

すっかり忘れていた胸躍る瞬間!
観客のちびっこは
紙芝居をじーっと見つめる。
ひ孫である。
紙芝居に自然と力がこもった。
 大型スーパーのイベント広場を借りて
土日四回公演。
協力願ったボランティアメンバーは
高齢者が中心。
昔取った杵柄はあるものの、
よくもまあ
やってのけた紙芝居公演である。
 演劇をやっていたのは三十年前、
杵柄もへったくれもあったものじゃない。
素人も同じだから、
案外怖いもの知らずでやれたのだ。
紙芝居の練習は勿論、
出演者やスタッフの参加交渉に
会場のイベント担当者との折衝など、
ぶっつけ勝負が続き、
息は抜けなかった。
 ちびっこ相手に程ほどは失礼だ。
舞台プランに
ひとりコツコツと取り組み、
昔話の主役を
絵姿に何枚も仕上げた。
おおきなカブは新聞を丸めて完成!
本番は万全の用意で迎えた
 ラストは絵本『おおきなかぶ』で
会場のちびっこたちを巻き込み、
「うんとこしょ、どっこいしょ」と
沸きに沸いた。
成功である。
「おじいちゃん、
面白かったって言ってるよ」
 片付けにかかった私に
声をかけたのは娘。
くっついている孫の真剣な目に驚いた。
笑顔で応じたが、
孫の表情は固まったままだった。
「今日のおじいちゃんは
シラナイお爺ちゃんだから」
娘が教えたと後で聞き、
納得した。
「公演ではちびっこみんなのおじいちゃん。
明日はきみだけのおじいちゃんになるからな」
 帰る娘と孫の背中へ、
思いを届けた。
 紙老後の生きがいに紙芝居。
予感を覚えた。
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アセアセ

6月の落書き大会に続き、
7月は文芸祭と続きます。
70台になって、
かなり焦っている
あとどれくらい、
頭がしっかり働いていてくれるか
考えれば考える程、
目の前真っ暗って感じになります。
ともかく、7月は文芸債。
よろしくお願いします。
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雨あめフレふれ

「慈雨」は、私の中では死語だった。
 初めて米作りに励んだ年は空梅雨で、夏になっても雨は降らなかった。前年に町暮らしからUターンしたばかりで、高齢の父から手ほどきを受けて、田植えまでは順調だった。
(米作りって簡単じゃないか)
 変な自信を持ったころから、リズムは狂い始めた。除草や肥料、農薬などの散布などは、思い通りに進んだが、自然はへそ曲がりだった。雨が降らない。田植えからしばらくはため池の水で賄われたが、徐々に取水制限となり、どうしようもない事態を迎えてしまった。
 カンカン照りが続き、田んぼはひび割れた。毎日稲の生育を見回るが、枯れる寸前に思えた。その惨状にため息をつくばかりだった。
 もう駄目だと覚悟を決めたとき、台風が日本に上陸した。雨台風だった。豪雨でかなり被害が出た。しかし田んぼの稲が生き返るのを目の当たりにして、思わず目が潤んだ。
「慈雨」は、自然の恵みだったと感謝した。
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娘の料理人

 この春から働き出した新米保育士である、生真面目な性格の娘、慣れない仕事を懸命に取り組み、疲れとストレスを溜め込んだのだろう、めっきり食欲を失くしてしまった。
「大丈夫かな?」「あなたの子供でしょ、信じなさい」おろおろする私は妻に一喝された。「父親のできることをしてやればいいの」
 引退した仕事は調理師。毎日の食事作りしか、私にできることはない。ネットで若い女性が好むレシピを引っ張り出し、娘のための料理を作った。食欲のわかない娘が食事を残しても、懲りないで次のレシピに取り組んだ。
「お父さんの玉子焼き、おいしい」
 ある日、ポツンとつぶやく娘の顔を見直した。久しぶりに見る笑顔に、ウルウルした。
「今日の夕食、何がいい?」
 出勤前の娘に問いかけるのが日課となった。
「なんでもいいよ」とお決まりの返事。
 その声に張りと快活さが復活するようにと、ひたすら腕を振るう父親だった。
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恋の記憶

 喜ぶ顔が見たいなあ。その思いだけで遂に買った絵本。とても大切なお土産だった。
遠出が億劫な私、いわさきちひろ美術館を訪れたのは奇跡といっていい。だいたいちひろの絵本どころか、巷で評判の絵本すら興味が湧かない無粋極まる中年男だったのだ。
絵本を読めと薦めたのは、趣味のグループにいた女の子で保母さん。いつもしかめっ面で黙々と趣味に打ち込む私を見かねたらしい。
「心があったかくなるから、これ読んで」
 少女の願いを無視しないのが中年男。「おおきなかぶ」と「おおきな木」のページを開いた。(こんなもの……?)が(これは!)に変わった。一度で読み終わるものが、二度も三度も。絵本の魔力のとりこになっていった。
 少女と中年男をつなげた絵本。ひと回り以上の年齢差という垣根を易々と壊した。絵本をダシに二人の時間はしだいに輝きを増した。
 ちひろの絵本は特別らしく、必ずほかの絵本と一緒に少女は薦めた。おかげでいわさきちひろは私を魅了した。
 東京の友人を訪問するとき、当然のごとくいわさきちひろ美術館が頭に浮かんだ。(行ってみよう!)内心、少女と手をつないで行きたかったが、初心な中年男に告白する勇気はない。友人と遊んでくると告げ上京した
 ちひろの絵本ではない。私の代わりに告白してくれる絵本を紀伊国屋で手に入れた。
『しろいうさぎとくろいうさぎ』に込めた思いは届いた。少女は私の妻になった。
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おタバコ

 久しぶりの喫茶店。
「煙草は喫われますか?」
 店内は分煙になっている。
「うん。煙のこない席がいいな」
「禁煙席にご案内します」
 煙草を嫌悪する客に最高のもてなしである。美味い珈琲を味わえる、いい時代になった。
三十半ばで禁煙した。若いころ始めた喫煙は、職場環境のせいである。同僚の殆どが喫煙者、「煙草は喫えない」と公言する勇気は、とても出せなかった、
 四十前に独立、喫茶店のオーナーになると、煙草と縁を切った。カウンター内の仕事に、喫煙は邪魔になるだけ、それに好きで喫っていたわけではない。
 煙草は口にしなくなったが、喫茶店に喫煙はつきものである。近くにある化粧品会社の営業部員が客席を占め、綺麗なメークを施した女性たちが、なんと煙草をスパスパ。ティータイムにドーッと来店、瞬く間に店内は煙に包まれた。否応なく煙草を喫う状況に変化はなかった。むしろ悪化したといえる。
 仕事なのだと自分にいい聞かせ、我慢を決め込んで働いた。
「マスター、煙草喫わないの?」
「君らの喫煙に付き合うてるやないか。わざわざ喫うのは勿体ないがな」
 レジ横に赤ちゃんを寝かせての仕事である。「マスターに似て、可愛い赤ちゃんやんか」
「忙しい間は、ウチが世話しといたるわ」
 常連客に人気者の赤ちゃんだった。
「赤ちゃん、アトピーやったわ」
 深刻な顔で報告する妻の胸に額のできものが膿み、血が滲むあばた状態の赤ちゃん。
「禁煙喫茶にしてみるか」
「それで喫茶店やっていける?」
「赤ちゃんのアトピー見てられへん。親やろ、なんとかしたろ」
 煙草が喫えない喫茶店など狂気の沙汰だったが、わが子のために踏み切るしかなかった。
「地方で禁煙喫茶店は大変やろけど、頑張ってほしいなあ。応援させて貰います」
 来店した新聞記者は大きな記事にしてくれた。よほど突飛な話題だったらしい。
「煙草の喫えない喫茶店て、あり得へんわ」
「煙草喫う者は、他へいくしかないわな」
 常連の喫煙客は捨て皮肉を口に、顔を見せなくなった。客の減り様は予測を超えた。
「赤ちゃんを守るためやんか。頑張ろう」
 妻の励ましを支えに、あの手この手で店の経営に奮闘したが、徒労に終わった。
 禁煙喫茶店は、結局一年半で頓挫した。
「時代が早かったんかな、残念ですわ。再度挑戦されるときは、必ず連絡ください」
 新聞記者は型通りの言葉を残して去った。
 赤ちゃんのアトピーは、かなり時間を要し快癒に至る。禁煙喫茶店は、正解だった。
(いまやったら、成功してたかなあ~)
 禁煙席で飲む珈琲は格別である。香りの向こうに、紫煙に踊らされる日々が蘇る。 
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お盆の記憶

いつもと違う賑やかな仏前。
回り灯篭の炎に照らされた家族の中に、
兄の姿はなかった。
 兄の初盆だった。
亡くなって三か月余りで
迎えたお盆。
先祖の霊を迎えるお盆で、
跡取り息子の兄は
いつも読経の先達を務めていた。
その兄の声も笑顔も、
もう見られなかった。
 建設現場で高所から落ちた兄。
ブリキ職人だった父は、
即死で血まみれになった兄を抱き
呆然と立ち尽くしていたという。
葬儀が終わり
しばらく経つまで
父は涙を見せなかった。
 私がやるというのを遮り、
読経の先達を務める父。
淡々とお経を唱える
気丈な親父の背中に見入った。
そして気づいた。
 そこにある憔悴したものに。
父が受けた衝撃と後悔の思いは、
少しも癒されてはいなかったのだ。
思わず
その背中に頭を下げていた。
「悪かったのう。
わしが傍におってからに……!。
あっちでゆっくりせいや」
 送り火を炊きながら
呟く父の背中が
えらく縮んで見えたのを
、盆を迎える度に思い出す。
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