新米ママ奮闘記

 生後一年にもならない長女が高熱を発した。二十一歳の新米ママは、初めて授かった赤ん坊を抱きかかえオロオロするばかりだった。育児書を夫と一緒に開いた。十三も年上の夫を信頼していても、赤ん坊に関しては夫婦ともにお手上げ状態だった。
「赤ちゃんは少々の熱でも心配いらないって書いてあるぞ」
 夫はホッとしたように言った。しかし、目の前で高熱に顔を赤くする赤ん坊を見る限り、そんな気にならない。氷嚢に水枕、アイスノンで冷やし、一夜を眠れないまま明かした。
 翌朝、早速病院へ走った。
「風邪です。心配いりません」と医師は解熱用座薬を出してくれた。医師の診立てだからと安心したものの、高熱は続いた。
 子どもが心配で仕事を休むわけにはいかない。夫婦でやっている喫茶店を一人がぬけると大変だ。生活が懸かっていた。その日も、裏の休憩室に赤ん坊を寝かせカウンターの中で仕事をしていた。
「どうしたの?なにか心配ごと?」
 どこか落ちつかない様子だったのだろう。カウンターにいた常連の女性客が訊いた。喫茶店とレストランのオーナー、それも神戸で店を三店持っている女性だった。夫とはウマがあい毎日の来店だった。夫はママさんと呼んで喫茶店経営の相談をしていた。いつも店の自慢話と、私たちの店の短所を指摘した。善意のお節介なのに、若い私は彼女に反感を持った。小娘と貫録のあるママさんじゃ、もとより勝負にならないが、心の中で敵愾心を持ち続けていた。
 それでも、切羽つまっていた私は、娘の高熱に、どうしたらいいのか分からない旨を告げた。ママさんはすぐに反応した。
「それって、風邪じゃないわ。私の友達がやっている小児科病院にすぐ連れていってみて」
 ママさんも高校生になる子供を持つ母親だった。身体が弱かったので、大変な子育てだったらしい。その彼女の助言だった。
「これは川崎病だな。すぐ入院させないと」
 ママさんの友人医師は、風邪ではないと断定した。訊いたことのない病名だった。血液の病気だという。
「日赤は川崎病の先駆的医療を行っているから、大丈夫。すぐ紹介状を書くから」
 入院にオロオロするばかりだった。夫に電話をすると、駆け付けてくれたのはママさんだった。彼女の姿に驚く私に、厳しく言った。
「しっかりしなさい。この赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないの。いまからちゃんとした母親になりなさい!手伝ってあげる。これでも母親やって来てるんだよ」
 ママさんの叱咤は不思議に私の狼狽えを解消した。ママさんの存在に安堵感を覚えた。
 日赤の受付でママさんは適格な助言をくれた。おかげでスムーズに診察まで至った。結果はやはり川崎病!即入院ということで、赤ん坊は病室に運ばれた。入院手続きを済ます間、ママさんは病室ベッドに横たわる赤ん坊にずっと付き添っていてくれた。
 点滴を受けて弱弱しく目を閉じた赤ん坊を見守る私に、ママさんは言った。さっきまでのきつい口調はなかった。優しかった。
「はい、お母さん、ご苦労さま。もうこれでひと安心やね。よかったよかった」
「はい。本当にありがとうございました。何にも分からなくて、わたし恥ずかしいです」
「みんな同じなんだから、気にしない。私も息子が初めて病気になった時は、あなた以上に混乱して、ジタバタしてただけ」
 意外なママさんの言葉だった。すべてにわたって完璧さを漂わせる彼女も、同じように初々しい新米ママを経験していた。
「うん。あなた、いい顔になってる。なんとか母親になりかけたってところかな」
 ママさんの言葉のひとつひとつが、私の緊張しきった身も心もリラックスさせてくれた。
 担当医師の回診が終わるまでママさんは傍にいてくれた。まるで私の母親だった。
 ようやく仕事を終えた夫が駆け付けたのは夜遅く、もう十一時近かった。
「大丈夫やったか?お前、えらかったんやてな」
「え?」
「ママさんが報告してくれたんや。あなたのお嫁さん、いい母親になるわよ。彼女がいれば大丈夫だから、おとうさんはちゃんと稼がなきゃダメよってハッパを掛けられたよ」
 夫の笑顔に救われる自分に気が付いた。そして、ママさんの、あの言葉が私をまた励ましてくれた。
「赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないのよ。いまからちゃんとした母親になりなさい」
 この春、娘は結婚した。他に三人の子供を育て上げた。「おかあさん」「おかあさん」と子供たちに慕われる幸福な家庭を守って来られたのは、あの日、ママさんが私を母親に引っ張り上げてくれたおかげだと思っている。

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