帰郷ーそして何かが・その6

龍悟は子どもらを理香子に任せて、少し早めに家に戻った。
縁側に母の姿があった。吊るし柿にする小粒の渋柿を丁寧に剥いている。毎年そうやって吊るし柿を作る母だった。
「お母ちゃん」
 龍悟は子どもの頃と同じ呼び方をした。母と二人きりの時は、ややもすると出てしまう。甘えん坊の名残だった。
「なんや、お前かいな。えろう早かったんやな」
 いつもと同じ母の笑顔だった。
「……!」
 母は息子の様子がいつもと違っているのを敏感に感じ取った。彼女は手にした包丁と、半分剥きかけた柿を藁むしろの上にゆっくりと置いた。
「何かあったんか?」
母の問い掛けが白々しく思えた。
「生きてたんか?」
 龍悟は吐き捨てるように訊いた。
 訝しげな母の表情に腹が立った。
「生きてたんか……おやじは」
「え?」
 母は驚いた。次に何か思い当たるものがあることを思わせる表情が浮かんだ。いやいやをするように頭を振った。弱弱しく目立たない仕草だったが、母の気持ちはそこに如実に表れている。嘘の下手な母である。
 龍悟と母はまともに向き合った。眼を逸らさなかった。
「そうか。…おうたんやな、お前、お父ちゃんに…!」
 苦しげな声だった。ただ母の声に動揺はもうなかった。
「やっぱり。生きてたんやな、おやじは」
「龍悟。…そないなこと、もうええやないか」
「え?」
 龍悟は母の言葉に耳を疑った。なおも問い糺そうとした龍悟は、母の思いつめた顔に気づいた。自然と口を閉じた。
「もう終わったことなんや。いまさらほじくり返したかて…誰も喜びゃせんけん。そやろ、龍悟」
「そんな…な、なんでや?」
「みんな幸せに暮らしとるやろ。辛くしんどいことは忘れるように人間は出来とるんや。あっちの方も、こっちも今はあんじょういけてるのに、ワザワザ波風立てんでもええやろが。お母ちゃんのお願いやから、なあ龍悟」
 母の顔はから感情は消えて、また枯れた年寄りに戻った。淡々とした口調は続いた。
「お前も世間をよう分かってるはずや。えらい目―して来たんやもんなあ。あんな目におうたからやろが。お前がどんな生まれ方をしたんか、わしが話してやってからやって、いっぺんも谷間の家の方へ行かなんだやないか。谷間の家へ行ったら、どないなことになるんか、お前自身が、よー分かってたからやろ」
 母の言う通りだった。出征の隠されていた事情を知った後、龍悟はむしろ谷間の家を避けたのだ。差別される側に谷間の家はあった。龍悟があえてその身内であると主張すればどうなるか。龍悟は表立って差別視されるはめになる。それを想像すれば怖くなった。差別されることの理不尽さを身の回りに何度となく見聞きしていたからである。
 龍悟は何も言い返せなかった。母の言う通りなのである。
 龍悟の頭に、先ほど目の前に展開された東畑崎の神輿奉納の光景が鮮やかに浮かんだ。
「トントントン!」「やーっしょい!」
「カチカチカチカチカチ!」
 市優先の役目を懸命に務める父、谷間則夫の顔。そして動き。
「トントントン!」「よーいやせ!」
 東畑崎の音集らの知んな顔。そしてピーンと張り詰めた緊張感。
「カチカチカチカチカチカチ!」
「そろ、よーいーとーせぃ!」
 差し上がる神輿。力のバランスが崩れて一夫に下がる神輿。上がる怒声と悲鳴。
「カチカチカチカチカチカチ!」
 危機を知らせるかのように打ち鳴らされる周旋役谷間の拍子木。
 口をキッと結んで無言のまま走り寄る他地区の氏子仲間の音集の姿。
「そら!よーいーとーせぇーっ!」
 助ける側も助ける側も一体となった瞬間。怒涛のような掛け声。そしてー!
 神輿は男衆らの腕に支えられて、見事に差し上がった。
「カチカチカチカチカチ!」
 あの拍子木の乱打は、谷間の喜びが真っ正直に込められていたのだ。
 東畑崎の神輿がさだめられた位置に神輿を鎮座さえた時、境内を覆った拍手の波。地区の区別はない。男衆は境内のあちらこちらから拍手を惜しみなく打ち、口笛や歓呼の声を送った。境内に身動きできないほど結集した観客も、東畑崎と他地区の力を合わせた奉納神輿の見事な差し上げを拍手で喜びを共有した。
(続く)
(のじぎく人権文芸賞平成十年度入選作)











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