北条鉄道

ウォーキングといえば、
昨年まで時間が許せれば、
地元唯一の鉄道「北条鉄道」沿線を、
歩いたものだ。
各駅に公募されたボランティア駅長が、
それぞれの個性で歓迎してくれる、
お坊さんの説教、絵手紙教室、切り絵、英会話、結婚相談所なんて
聞いただけで「?」
実にユニークな鉄道である。
中でも法華口駅は駅舎がパンやさんというから「へぇ~?」
オーナーがレールバスの出発を見送る姿に見とれてしまう。
最近はテレビでも取り上げられたりしている。

鉄路を一両のレールバスが、
ガタコンガタコ~ンと、
田園をのどかに走っている。
その鉄路のすぐわきの側道を、
往復すれば、
かなりいい運動になる。
しばらくコロナで休んでしまったが、
そろそろ再始動してもいいかな。
ただコロナ自粛で、
老脚が衰えて、
前のように歩けるか
いやはや、もう自信はないよ~!

でも歩いてみるぞ。
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あびき湿原

なつかしい電話が入った。
「加西風土記の里ウォーク」と」銘打った
市民ウォーキングに参加したときに遭遇したひと。
共催の神鉄でスタッフをやっていた。
相性が良かったのか、
人見知りで
人に声をかけることが滅多にない私が、
なぜか話しかけたのだ。
以来、ウォーキングに参加すると
隙(?)を見つけては談笑する仲となった。
コロナ自粛は市のイベントも。
ウォーキングも例外ではなかった。
もう数か月あっていない計算になる。
実は「まちライブラリー」通信を郵送していた。
これも珍しいことで、
決まった少数の相手しか送付しないのを、
偶然メモっていた彼の住所をピックアップ。
おかげでしばらくぶりの会話が弾んだ。
彼もコロナのせいで、
ウォーキングの仕事はゼロだった。
同い年だから本職は定年退職している。
しかし口調は相変わらず明るい。
その明るさがいつも孤独な私を救ってくれてるんだなあと、
改めて納得した。
6月に予定されていた
神鉄ハイキング「網引湿原散策コース」も中止だと知った。
コロナ自粛も解除されたので、
一応参加する気でいた魅力いっぱいのコースである。
これまでに3度散策の機会を得ていた。
豊かな自然の中に育まれるちいさな命との出会いは、
現実に荒みがちな心を癒してくれるのだった。
それが中止か~残念だ。
電話を置くと、
加西市観光案内パンフを引っ張り出した。
「あびき湿原」これだ。
多様な生物の宝庫、あびき湿原。
ハッチョウトンボを目にした時、
子供のことへタイムスリップしたことを思い出す。

ああ、もう一度行きたいなあ。

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紫電改

加西に紫電改がある!
最近注目を浴びている戦争遺跡に
華を添えている。。
模型だが
実物大の精巧なもの。
往時の名機そのものである。
近くに旧日本海軍の飛行場跡が、
当時の規模で保存されている。
点在する防空壕や機銃座跡なども。
この地を飛び立った
神風特攻隊員60数名の
若き命が失われました。
しばし鎮魂の思いに囚われます。

そうそう紫電改といえば、
ちばてつやの名作「紫電改のタカ」を、
思い出します。
子供のころ夢中になって読みましたね。

加西市にお立ち寄りの節は、
戦争遺跡巡りをお楽しみください。
紫電改が待ってますよ~!
(故郷の宣伝です。はい)

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姫路ゆかたまつり

地元のサイサイ祭りが中止。
各地の夏祭りがコロナの影響で
軒並み中止の方向らしい。
あの姫路の長壁神社浴衣まつりも中止だ。
二十代から三十代にかけて
姫路に住んでいたことがある。
勿論独身ひとり暮らしである。
風の通らない部屋を間借りしていたっけ。
いまは移転しているが
姫路城の側にあった
姫路商工会議所内の
レストラン「清交倶楽部」のコックだった。
並行してアマ劇団「混沌」で芝居に打ち込んでもいた。
生真面目で人見知りの激しい性格を
少しでもカイゼンしたかったのだ。
舞台では確かに人が変わったような演技をするまでになtったが、
プライベートでは改善の兆しすら手にできなかった。
孤独の影を背負った私なのに、
ある日、劇団に入団したばかりの高校生に誘われたのが、
浴衣まつりへの同伴だった。
「今夏は一緒に行く相手がいないんです。Sさん連れて行ってください」
何を言われているか分からないほど内心の驚きといったら。
それまでに対等に女性と付き合った経験なし。
しかも相手は高校生。
どうしていいかまず分からない。
そんな頼りない私をリードしてくれたのは彼女の方。
おかげで金魚すくい、くじ引き、的あて、りんご飴、綿あめ……
情けないことにすべて初体験だった。
幸せな気分に満ちた私に、
別れ際に彼女の一言。
「またお城まつり、連れて行ってくださいね。とても楽しかったです」
どんな状況に陥ったか、余人には想像もつかないですよね。(苦笑)

人生初のデートを思い出させてくれた
浴衣まつり中止のニュースだった。
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リハーサル

孫がバーベキューをせがむので、
急いで倉庫にしまっておいた
バーベキューセットを引っ張り出した。
もう二十年以上使っていない。
子供が4人いたころ
思い出作りにつかって以来だ。
「ちょっとリハーサルしとこうよ」
言い出した妻はスーパーのサービスチーフ。
コロナの時期は毎日てんてこ舞いしていた。
そのストレスを解消したいのだ。
器具は長年しまい込まれていたにも関わらず、
錆びてもいないし、すぐ使えそう。
隅も当時の使い残しがあった。
準備から焼き上げまでのプロセスは、実に楽しかった。
子供らの時の記憶より、
付き合い始めたころの
仲間内バーベキューの記憶の再現である。
仕事から戻ってきた娘も加わり、
賑やかな団らんとなった。
一月後やってくる孫たちが
喜ばせる自信を得た一日となった。
は~やく、こいこい、孫とのバーベキュー……♪である。
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歩く

コロナ、コロナの前は
近くのイオンモールまで
歩け歩けが日課だった。
片道45分、歩数で七千歩程度。
しかし自粛生活で
3か月近く巣ごもり状態。


昨日久しぶりに歩いてみた。
最初はブランクを感じない快調さだったが、

半分ほど行ったところで「ガクッ!」
油断をしていたせいで膝に力が入らなくなった。
暫く「ガクガクガクッ」
しだまし歩いていると、気にならなくなった。
イオンに辿り着くや否や、
休憩用のベンチに。
痛みは消えていたが、優しくさすってやった。
結局行きも帰りも1時間近くかかってしまった。
自粛であまり動かなかったツケは大きい。
脚の衰えは明白だった。
しかし久方ぶりのウォーキング、
暑さは応えたが、実に気分がいい。
といって明日から毎日、
と考えただけで、頭を振っていた。
そう急がず騒がずで、
ゆっくりと習慣を取り戻していくしかないなあ。(うん)

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駄目なやつにも挑戦権

母校から同窓会総会の案内が届いた。
数年前に副会長を退任しているが、
久しぶりに覗いてみようかと思う。
後輩たちの頑張りを支援してやりたいし、
私を陽の当たる表街道へ引っ張り上げてくれた母校に、
いまも感謝の念を持ち続けているからだった。
最初に進んだ進学校で挫折を味わい、
いやいやながら合格したが、
馴染めない工業高校電気科、それも級友たちとは一年遅れの立場。
気が入らない学校生活に、
成績はがガタ落ち、暗い性格も重なり、
学校に身の置き場はどこにもなかった。
子供のころから図書室に入り浸っていたこともあって、
国語の本を読むのは得意だった。
教科担任の先生、何を血迷ったのか、
人と会話すらままならない私に、
校内弁論大会に出ろと声をかけた。
察するに、工業高校に弁士になろうというものがいなかったに過ぎない。
いつも口ごもり無言の断りをする私が、無言でうなずいたのだ。

その肯定が私の暗い人生を一変することになった。
挫折した過去を赤裸々にテーマとした弁論は、
なんと優勝してしまった。
胸を張り心の内を叫ぶ勇姿を写した一枚が、
学校新聞の一面を飾った。
裏道をトボトボ歩いていた私が
陽の当たる表街道へ踏み出すスタート台に立った記念碑となった。
「高校時代」と表記したアルバムの1ページ目を、
新聞の切り抜きと写真を並べて貼っている。
もちろん以後も挫折の繰り返しを経験するが、
つぶれなかったのは、
あの弁論大会の奇跡の瞬間があったからに他ならない。
誰彼に「機会があったら挑戦しろよ」という。
失敗はないはずがない。
ただ成功を導くためには、まず挑戦するしかないのだから。
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珍客

珍しい訪問者が。
コロナ前までやっていた紙芝居を
いつも見に来てくださっていた
高齢のご夫婦。
情報を見つけて
他市からわざわざ足を運ばれる、
ありがたいお客さんだった。
80代半ばの女性は、
向こうの地元で
紙芝居のボランティアをやられていると聞いていた。
コロナ自粛で紙芝居公演を中止してから、
顔を合わせる機会は全くなかったのである。
我が家には、
ネヒメ広場に老いているチラシを見て
駆けつけられたのだ。
80代とは思わせない矍鑠ぶりに変化はなかった。
相変わらず積極的な言動に、
迎えるこっちがすこしオタオタしてしまうほどだった。
ライブラリーのアトリエを見ていただいた後、
「ぜひネヒメ広場での紙芝居復活させてくださいよ」
の励ましを頂いた。
まだコロナ対策を講じた紙芝居公演のめどは立たないが、
音声を録音しての紙芝居パフォーマンスの案を捻っている。
7月ぐらいに実現したいと改めて誓った。
辺鄙な田舎のまちライブラリーまで
尋ね歩いてきていただいた好意を
むげにはできない。
もう一度私の挑戦に期待してくださる方がいるのだから。(うん!)

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ペットに好かれたい

仕事が休みの妻。
待ってましたと助っ人を頼んだ。
庭先にある梅の大木が今年は鈴なり状態。
実の収穫をと思い、
脚立を用意したまではいいが、
不安定でひとりでのぼるのは危なかっしい。
躊躇していたところに妻のお休み。
脚立を支えて貰って、
3メートル近い枝の実をもぎ取った。
ついでに木にしがみつき、
ひょいひょいと取りまくった。
ひとりだと捗らない作業も
快調に進んだ。
梅ジュースに梅干しを作るだけの収穫量に大満足。
気分よく畑周りの畔の草刈りもやってのけた。
やっぱり相方が近くにいれば、
リズムよく作業は進む。

「ほら、これ見てよ」
帰宅して体中の痛みをほぐしていると、
妻が読んだ。
見やると、
居間に同居する(?)ペット、ウサギのレイちゃんを、
膝の上にのせている。
レイちゃんは自然体で身を任せている。
それはないだろう。
私もレイちゃんとは仲良くやっている。
なのに抱き上げかけるとバタバタ!
じっとしていないで身をよじってしまう。
もっと小さい頃は腕の中で
おなかを見せてくれていたのに。
「誰もいないときは俺にもなついてくれるぞ」
負けん気でつい口を突いて出たウソ。
頬笑んでいる妻。
見透かされているようだ。(笑)
てやんでぃ!
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神も仏も

深夜1時半過ぎ。
蛙の声がかき消されるような
酷い雨が勢いを増している。
またどこかで災害が発生しなければいいが。
コロナでいい加減参っているのに、いやはや。
やっぱり地球上に
神も仏もないようだ。

あの時もそう思ったっけ。
コロナ感染で川崎病に似た症状がと、
話題になったことがあったが、
我が娘が川崎病にかかったのが、
生後数か月目だった。
確かまだ目も開いたかどうか。
最初の赤ちゃんだった。
新婚気分が抜けない夫婦に
襲い掛かった試練である。
高熱に苦しむ赤ちゃんを抱きかかえて、
医者巡りをしたが、風邪の診断ばかり。
高熱がおさまる気配もなく、
知人に情報を求めた末に、
巡り合った先生は即断。
「川崎病だな。日赤に即入院の手続きを取ります」
川崎病なんて、
それまで聞いたことは皆無。
公害病と勘違いしてしまったが、
血液の病気だった。
先日川崎医師の逝去を新聞で発見した。
あの先生が発見した病気だから川崎病だった。
日赤の入院は長期にわたった。
当時新婚生活にあった妻は、
娘に付き添って病院暮らしを余儀なくされた。
一方の私は、
やっていた喫茶店をひとり切り盛りするしかなかった。
夜11時に店を閉めると、
その足で日赤に向かう日々となった。
くたくたになりながら、
深夜の日赤詣では続いた。
点滴につながれた赤ちゃんと、
そのそばで食らいつくように眠る妻。その光景を、
確かめては安堵したものだった。

あの時も、
世の中に神も仏もないと恨んだものである。

考えてみれば、
あの過酷な日々が夫婦の絆を確かなものにしてくれたのだ。
結婚生活40年以上、
4人の子供も巣立ってくれた。
神や仏のご加護……だったのかなあ?
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家族のために迷コック

もう誰も信じてくれない。
白髪爺さんに青春があったことを。
白いコック服に身を包み、
ソースやスープなどを自在に
調理していたことを。
いまは家族の料理番。
家庭料理に頭を悩ませながら作る姿に
フランス料理のコックをダブらせる人はいない。
「お父さん、味噌汁や丼美味しいけど、
本当にコックさんだったの?」
娘の言葉が象徴している。
大体家庭料理にフランス料理は不向き。
日本の家庭には
日本式の家庭料理が最も合っている。
専門外の家庭料理を作るのに、
クッキングサイトで予習復習は必須。
「おいしいよ」
と家族に言わせるのに手抜きは出来やしない。
昨夜は
筑前煮と鰆の西京焼き、ニラ玉、お浸し、
洋食系のオムレツ(プレーン)に味噌汁という組み合わせ。
「おなかいっぱい」娘は完食。
これでいいのだ。
家庭の料理番、いいじゃないの。
遠い過去の栄光の日々は
もう封印してかなり経ってしまった。
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いよいよ

きのうは雨が小休止で、
暑い一日だった。
自転車で畑に出向いたが、
ここしばらくの雨と高温で
またまた雑草が成長していた。
しかも水がたまったままだ。
草刈りは後日ということにした。
帰りは登りで、
自転車をこぐのも、
シャカリキにならないと前に進まない。
帰りつくと暑さに
少々へばってしまったようだ。
ねひめ広場運営会議を担当する
市役所のOさんからメールが入っていた。
「ふるさと川柳IN加西」の展覧会チラシが
できあがったとのお報せ。
こうなると
俄然やる気になる。
コロナ何物ぞ!である。

作業に没頭も、
夕方は食事の用意がある。
娘が帰宅するまでに作り上げなければ。
覗いた冷蔵庫に冷凍庫、
なんとも貧相な在庫である。
そんな時は、丼物がいい。
中華丼に決めた。
決まるとノンストップ。

娘の完食に胸をなでおろした。

どんな時も、
委ねられた仕事は手を抜くことを知らない。
凡人は生真面目さが一番だ。
酷い人見知りで、我が道を行くタイプの私が
人並みな家庭を築けたのは、
それに徹した生き方をしてきたからだと思っている。

いま深夜2時半。
どおんどん目が見えにくくなってきたが、
雑誌の読者投稿をかきあげるつもりだ。
いつもの締め切前日、
一夜漬けはまだまだ健在である。(へへへ。苦笑)
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馬鹿正直な生き方

深夜二時。
仕事に出かける家族の弁当用に
ご飯を炊いた。
炊飯器が壊れて以来
鍋で炊いている。
炊きあげ、蒸らす時間をいれて
20分だから、
炊飯器より早く炊けるのがいい。
同時にご飯のおかず用に
チキンカツを揚げた。
むね肉をカット、パン粉をつけ
冷凍しといたものを、
油に熱を加えるのと同時に放り込む。
カツにふさわしい色になると完成だ。
寝る前に妻がひと言。
「明日弁当がいるの」
保育士の娘は職場で給食が出るから
気にしなくていい。妻だけだ。
「やる気になったら用意しといてやる」
口ではそっけなく答えてしまうが、
根が律儀、いや馬鹿正直というべきか。
必ず間に合わせて調理してしまう。

ど田舎に生まれ育ち、
いまも夜遅くシカやイノシシが
家の周りに出没する、
サファリーランド状態の故郷に住む。
狭い田舎社会は
子供の頃から社会の情報から切り離した。
おかげで朴訥な人間に育ってしまった。

だから
私の恋ストーリーも、
人並みなものにならなかったのだろうな。
アマ劇団の活動を通じて
人生唯一のパートナーに出会うまで、
女性と交際する機会は、
何度となく手にしたが、
みんな最悪の結果を呼び無くされた。
その原因は、
「清く正しく」をモットーに育った
田舎ッペだったからだと、
いまならわかり過ぎるほどわかる。

喫茶店のマネージメントを任された時代、
バイトに来た女子大生と付き合い始めた。
これまた相手からのアタックだった。
8歳違いだったっけ。
3年続いたが、
小学校教師を目指していた彼女は、
教育実習を機に、
「先生になるのが夢なの」
何も言えなかった。
人の夢を邪魔などできないが私の考え。
高裁は手をつなぎハグまでいたったものの、
それ以上は
(清く正しく)の生き方をする
私には進めるはずがなかったのである。
そして三度目の失恋を味わう羽目に。
立ち直るまで半年余り、
それを乗り切った時、
私は新たな挑戦に踏み切った。
独立、自分の店を持ったのである。
仕事に挫折、恋に挫折、人間関係に挫折
挫折を繰り返すたびに、
何か月かの沈黙。
そして行動に移る。
挫折はいつも私を強く復活させてくれた。
痛みは私の成長の原動力となったのだ。

雨が上がったようだ。
蛙の合唱がトーンをあげた。
明日は
また雨になるかも知れないなあ。

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梅雨の青梅

断続的に降る雨。
かなり強くなったりやんでみたり、
梅雨の意地悪さといったら。
タイミングを図って、
青梅の収穫を強行した。
娘が彼氏のために
梅酒を作ると言い出した。
それも今日相手の家に出向いてというから、
「天気がようなってから」
なんて悠長なことを言ってはいられない。
時折思い出したかのようにポツリの雨に
打たれながらの作業となった。
3メートルばかりに死だった烏煙の木は、
今年も鈴なりの実をつけている。
梅酒なら少々青い方ががいい。
上の枝へ手を伸ばすと、
葉っぱの水滴が顔に落ちる。
上向き状態もきつかったが、
ざるに山盛りの収穫である。
娘よ、うまく漬けてくれよと、
念じながら袋に詰めてやった。
まだ結婚につながらないが、
毎週食事作りに通っている。
幸せな時期だろう。

私も同じ体験をしている。
10年勤めたレストランを辞し、
次に駅ビルの喫茶店に映ったが、
アマ劇団の方も
自分のやり方を求めて
新しいグループを旗揚げ。
集まったメンバーは若者が中心。
その中に高校生の女の子がいた。
高校演劇部でバリバリやっていたという。
全国大会へ部を引っ張っていった経歴の持ち主だった。
真面目な情熱で頑張ってくれた。
T・ウィリアムズ、木下順二の戯曲をともに取り組んだ。
その彼女に3年後、逆プロポーズされた。
とんとん拍子にはいかなかったものの、
彼女は私の人生唯一のパートナーとなってくれたのだ。
生真面目に演劇も仕事も取り組んでいたのが
功を奏したらしい。
その彼女が弁当を作ってくれた。
内緒の話、料理は上手ではなかったが、
恋心の隠し味はそれを補って余りあった。

展示用に作成中の
「ふるさと川柳」の一部の写真もアップ。
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ガムシャラに

深夜1時半。
開け放した窓から
相変わらず蛙の大合唱。
連日である。
よくぞ疲れないものだと感心する。

今日は目はパッチリ。
書斎(?)の片付けにかかった。
作業机の上は元より、
歩くのに用心が必要なほどの
ゴミ屋敷状態。
自室には家族の立ち入りを禁じている。(ちょっと大げさかな。笑)
だから片付けるのは私の気分次第。
企画にかかり始めると必ずこうなる。
2週間分の衣装や小物が山となっている。
これをいっぺんに片付けるのは快感でもある。

遠い昔、
わが青春時代もそうだったなあ。
そうそう恋ストーリーは
書店における失恋(ただの思い込みだったかも)に懲りて、
以降10年近くプラトニックラブすら皆無だった。
ひたすら仕事と、
失恋時に飛び込んだアマチュア劇団の活動に打ち込んでいた。
書店勤務は6年ほどで見切り、
将来飲食業の独立を期した転職を図った。
当時は外食産業が脚光を浴び始めた時期である。
加古川から姫路に移り、
調理師学校に、
早朝の中央市場と夜勤のF観姫路ホテルで
アルバイトをしながら学校へ通った。
1年で調理師資格を得ると、
姫路S会議所のレストランに就職。
コックとして10年、
勿論アマ劇団の活動と両立の日々だった。
恋ストーリー第3弾は書店時代から5年目。
会議所に勤務する女性と意気投合。
なんて言ってるが、
相手に引きずり回されて3年で、
「眼鏡の男性って、好きになれないの」
と訳の分からない理屈で、またまた失恋。
当時黒縁で牛乳瓶の底レンズだったからかも。(苦笑)
傷つきはしたが、
二度の失恋を経験したおかげで、
自分の夢に生きる負けん気を貰えたのだと思っている。
仕事上の失敗もそうだが、
恋愛の葛藤も成長の糧となるものと信じることだ。

まだ蛙の声。
明日は雨になるかな。
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山あり谷あり、そして……

梅雨です。
朝からの雨に足止めを食い、
予定していた畑仕事を諦めて
在宅ワーク(?)と切り替える器用さは
持ち合わせていない。
怠け心を優先してしまうのは
我が人生を象徴している。
それでも夕方過ぎから
7月20日スタートが決まった
「ふるさと川柳作品展」の
段取りに着手した。
一夜漬け人生を未だ反省しない
私には珍しく、
早い取り組みである。
作品を拡大コピー、
額フレームにピッタリ収まるように
下紙に貼り合わせカット。
結構緻密(?)な作業になった。
80数点仕上げると、
それなりに疲れを感じた。

深夜、
いつもなら目がパッチリ、
何かをやってのける夜型人間も、
不意に襲った眠気に従ってしまった。

目が覚めたのは、
なんと朝9時前。
貴重な時間を無駄にしてしまった感がある。
といってすぐ頭は働かない。
しばし、ぼーっと過ごすしかない。

そうそう
私の人生2度目の恋スト-リー、
当然のごとくポしゃった。
誘った行く先は岡山の後楽園。
実はほかに思いつかなかっただけ。
狭い世界を生きてきた私に
青春を満喫できるスポットの
情報があるわけはない。
誰かが話題にしているのを盗み聞いたものだった。
気持ちだけが先走り、
何の用意もなく初デート。
今思えば、
彼女は退屈の極みだったに違いない。
「今日は楽しかったです」
別れの言葉はお愛想だったのだろうな。(笑い)
それからの職場での彼女の態度、
実に事務的。
独り相撲で気持ちを高ぶらせる私は、
それをどうするすべもなかった。
結局、
「ごめんなさい」の最後通牒。

何も考えられない絶望状態の私は、
店の常連だった小学校の先生に救われることになった。
「きみ、シェイクスピア読んでごらんよ。そうだ、お芝居やってみない?」
優しい口調の問いかけと、
先生の笑顔はいまだ鮮明な記憶に刻まれている。
わたしの人生が花開くきっかけの出会いだった。

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二つ目の恋スト~リ~

3か月振りの
ねひめ広場運営会議に出席。
まだコロナの完全収束とはいかない時期に
果たして何人出席かな?と
ネガティブ思考に陥ったまま、参加した。
案に相違
して集積の顔ぶれは、
コロナ前と同じ。
嬉しかったなあ。
ただ、今後の広場活用に
些かの制約は免れず、
コロナの影に押された形の再始動となる。
広場で大々的な
「みんなで選ぼう!ふるさとベスト川柳」イベントは
諦めることにして、
広場前のウォールギャラリーでの展示と、
閲覧していただいた市民の皆さんに
イチ押し作品を選び投票してもらうことにした。
表彰も
入賞なった作者へ
入賞案内を郵送することに決めた。
副賞は加西市のイメージがある地場産品とした。
応これで募された100人近い作者への責任を果たせるだろう。(ほーっ)

深夜2時になろうとしている。
昨日に続く青春の記憶をと集中した。
そう、
あの5年生の最後に
席が隣り合わせだった女の子に好意を告げられながら、
何も対応できなかった
みじめな男の子を演じたときから、
中学高校と、
異性との恋ストーリーは皆無のまま過ぎた。
その間、僕を少し成長させてくれたのは、
やっぱりというべきか、
先生たちだった。
しかし今は、恋ストーリーをたどってみたい。

社会に出て就いた仕事は
書店の店売スタッフだった。
選ぶことになった諸事情も後日にでもということにする。

二つ目の恋ストーリーは、
勤める書店に、
1年遅れて入ってきた事務の女の子とだった。(女の子と称するのをご容赦ください。)
彼女とは仕事エリアが違っていたが、
書籍や雑誌が納品されると、
その垣根はなくなった。
当時売れに売れていた少年ジャンプなどの
荷解きと納品チェック、そして店頭陳列まで、
まさに時間とのせめぎ合いだった。
ほかの書店より先にジャンプを店頭へ山積みするのが責務だった。
売れる雑誌販売はまさに時間との勝負だった。
だから、書店員あげての作業となった。
週刊誌と一緒に書籍の段ボール箱も納品されるから、もう戦場である。
二人一組で納品作業をする。
納品伝票と睨めっこで書籍名、発行所、売価などを読み上げる彼女。
それを現物の書籍を手に詳細な確認をするのが店売の私。
何度も同じコンビで仕事をしているうちに、
私の心は、
彼女の声とか、些細な動きに魅入られていった。
仕事帰りが一緒になった時、
緊張で金縛り状態になりながら声を絞り出した私。
「あ、あのう……今度の休み、後楽園へ……」
「ん?なに?」
まともに見合ってしまった彼女の笑顔。
畝キュンの瞬間だった。
「い、一緒に行かへん……」
情けない裏声になってしまった。
それを彼女は、「うん」と頷いてくれたのだった!
人を誘う、まして異性を誘うなどと、
私はまさに天変地異を乗り越える勇気を
奮い起さなければならなかった。(頬笑む)

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恋は成長の糧(1)

きのうも暑くて、
もう何日も雨が降らない。
畑は乾ききってしまったが、
夏野菜諸君は頑張って耐えてくれている。
汗だくだくで水をやり終えてホッ。
あと何日かで梅雨入りらしいが、
それまで老骨が
持ちこたえてくれるかどうか?

そんな中、ちょっとハッピーに、
コロナ恐怖に陥って以来、
明るい話題はとんと縁が亡くなっていたが、
ここ数日嬉しいことが続いてくれる。
高齢加速孤独加速に鬱屈状態を迎えていたから、
N運営会議再開の知らせが最大の朗報。
ウハウハとなっている。。
10日の夕方7時開始と、
市の担当者から連絡があったので、
もうその時間が待ち遠しくてたまらない。
3か月ご無沙汰だったメンバーたちとの、
顔合わせがまた実現するのだ。
ハッピーになるのも当然である。

もう一つはわが娘のこと。
40後半で授かった末娘。
孫みたいなものだから可愛くてたまらない。
彼女が恋を手にしたようだ。
愛に発展するかは本人たち次第だが、
先に幸あれと願う父親である。

そういえば
私にも恋ストーリーああったよな。(うん)
極度の人見知り、友達を作れない、
自分の殻に閉じこもることが一番だった。
そんな暗いタイプの男の子が
人並みの恋を経験しただなんて誰も信じないだろうが、
結婚して家庭を半世紀以上守ってきたのだ。(内心どんなもんだいと、どや顔。笑)
生涯(そういえる年令)を通じた私の恋ストーリーの相手役は
プラトニックも入れて7人もいてくれたんだよな~、奇特な女性たち。(デレデレ)

最初に{好きだよ」と言われたのは、
小学校5年生の終業式の前。
席が隣だった女の子がそ~と体を寄せて囁いた。
私はもう驚天動地!
顔を真っ赤にし、全身を緊張、絶句!
情けないオノコは、
恋の好機(?)を逸したのだった。(自ら嘲笑)

また蛙の合唱が大きく聞こえる。
いま深夜2時前。
とりあえず風呂に入ることに使用。
明日の運営会議のために
頭を洗い、ひげをそり、体を磨くのだ。
この気持ちがあれば、
まだまだ老いぼれはしまい。(うん)
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白昼の愚行

暑い日が続いている。
涼しいときに畑仕事が普通だが、
家下の倉庫部分に設えた、
まちライブラリーのアトリエに
展示している作品の
展示レイアウトの手直しを優先した。
この7月に
ねひめ広場展示ボードを使い
公開するリハーサルでもある。
コロナの2波がなければ
実施することになっている。
これまで休止されていた
ねひめ広場運営会議の再開の
連絡があったばかりで、
ちょっとやる気モードである。

畑は正午を待って向かった。
300メートルほど離れているので、
いつもなら自転車だが、
今日は歩きにした。
携帯用の草焼きバーナーを手に急いだ。
刈り払った草が
連日の暑さで程よく乾燥しているはず。
昼の時間帯なら、
周囲に人も出ていないので、
いつもその時間を狙って焼いている。
しかし、暑い!
畑で枯れた草の残骸を燃やし始めると、
ますます暑い。
日陰もなく汗がにじむ。
草焼きが終わると、
なんと暑さ負けしている
野菜に水をやった。
暑い最中の水やりは避けるべきだが、
もう一度ここへ出向いてこれる自信がない。
ままよと水をやった。
大きめのポリバケツを土中に埋めて
水をプ-ルしている。
如雨露にすくう。
何度もそれを繰り返す。
元気のない野菜苗には
かがんで優しく丁寧に対応してやる。
からからに乾いた畝の全体を湿らすのは、
暑さと相談するとできそうにない。
そこで一本一本の根元に水をくれてやる。
火で熱し煙でいぶした畑を水で潤す。
なんとも矛盾を感じてクスリ。

水をやった-!という
自己満足に浸りながら畑を後にした。
家に帰りつくのがやっとで、
(我ながらだらしないね。笑)
もう何をする気力も失せていた。
img004.jpg春.jpg一年間.jpgなにもきて.jpg

僕には本があった

暑いのを言い訳に
畑に足を延ばすのをやめた。
家の裏手にある畑は、
なんとか水やりをやってのけたが、
離れた畑の野菜たちを裏切ってしまった。
暑いのは野菜たちも同じ、
言葉をしゃべれない分、
暑いのを訴えることなど出来ない。
乾ききった畑が頭をよぎったが、
(一日くらい……)
その一日が野菜には
致命傷になりうるというのに……。
明日は絶対朝いちばんに、
野菜たちに挨拶しよう。

ふと、
他人を前にすれば、
全く何もしゃべれず
真っ赤な顔で俯くばかりだった
子供時代を思い起こす。
写生大会で得た
ちっぽけな自信と喜びも、
山下鏡子先生が担任でなくなるとともに、

また前のように
影が薄く孤独な子供になってしまった。
唯一の救いは図書室。
手当たり次第に本を読んだ。
「〇〇くんはどこや?」
「あいつ図書室やんか」
「そやったのう」
先生と級友の会話を、
廊下で耳にして、
入りかけた教室をUターン、
図書室へかけ戻った情けない経験もあった。
どんどん
周囲が認めるほど
自分にこもる子供になってしまった。
ただ読書は私を守ってくれた。
普通なら苛められる子供のタイプだったが、
読書で頭でっかちになった私の雰囲気は、
近寄りがたく、
苛める気にはさせなかったようだ。
しかし
運動が苦手な子供の居場所は、
小学校にはなかった。
遊び相手にもなれない運動音痴(当時そう呼ばれたことがある)では、
なおさらだった。
図書室、そこに溢れていた本がなければ、
根暗な変わり者の子供に
明日の希望はなかったに違いない。
少年少女世界・日本文学のほとんどは
5年生になるまでに読破した。
おかげで
国語の成績だけは別格だった。
(負けてたまるもんか)
負けん気の原動力にもなった。

今私がやっているまちライブラリーで
本に囲まれながら、
(本はいいぞ。決して裏切らないし、
世界の主人公にさせてもくれるんだぞ)
誰ともなく訴えかけている。(苦笑)

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