格差

火葬された父のお骨揚げを済ませて、
ふらっと火葬場の控室の前にあるミニ庭園に入った。
ベンチに腰掛け、
しばし父の思い出にふけったが、
生真面目に働いている光景しか思い浮かばない。
とにかく真面目に働くのが取り柄みたいだった父。
子育ては母任せだった。
当時はそれが田舎の一般的な家族風景だった。
今も不思議でならないが、
尋常小学校しか知らぬ母なのに、
生活の実情に合わない上級な幼稚園に私を通わせた。
田舎で幼稚園に通わせる家は珍しかった。
村で幼稚園に通ったのは二人きり。
一人は両親とも教職で、庄屋の家柄だった。
一方の私は学のない両親、家業は百姓。
とても釣り合うはずのない私たちは、
幼稚園に手をつないで通った。
幼少のころから、
当時農家に配達されていた「家の光」という雑誌を読むような子供だったので、
親は勘違いして子供に期待をかけたのだろう。
酒見寺の境内にあった幼稚園を卒園した二人の歩みは大きく違った。
最終的には東大に入り当時の国鉄に入ったエリートの相手に比して、
私は職を転々として落ち着いたのが調理師の世界。
それも仕事以上に打ち込んだ演劇のおかげで仕事は中途半端だったから何をかいわんやである。
国鉄の重役を経た彼との格差は広がり過ぎて、
接点は完全になくなった。

そんな私のこれまでの歩みを、
父は垣間見ながらどう思っていたのだろう。
鳥取の片田舎で貧乏な家に生まれ育ち、
小学校に上がる前、東京へ養子に出され、
そこに子供が生まれると突き返されたという。
もう一度養子に出された後、
やはり出戻りとなった。
そして丁稚奉公という大変つらい経験をしている父。
殆ど無学と言っていい父だった。
そんな父の目に、
私の生きざまはどう映っていたのか。
もう無理だが、
だからこそ猶更聞いてみたい気がする。

父が遺した和凧を自宅まちライブラリーのアトリエで展示している。
並ぶ私の文芸作品が地味に見える父の力である。
img021.jpgライター.jpgははははら.jpg