お化け屋敷

ねひめ広場ロビーに
7月20日からの
「ふるさと川柳IN加西」作品展示の
予告パネルを設置しました。
これでもう逃げも隠れもできません。(笑)
乞うご期待と行きましょうか。

しかし暑い日が続きます。
半日草刈りをしただけでぐったりです。(苦笑)
しかし弱くなりましたね。
年を取るということに、
コロナ自粛が重なって、
なまるになまってしまったようです。

暑くなるとすぐ思い浮かぶのが、
サイサイ祭りのお化け屋敷です。
2017年まで6回ほど参加しましたが、
お化けに扮するのも病みつきになるほど面白いのですが、
暑いのはきつかったなあ。
加西市市役所の議会棟が会場ですが、
3階までフル活用。
なかなかクーラーの恩恵に恵まれない上に、
お化けの扮装で、キグルミ状態。
そして入場する子供たちを脅かすのに懸命になってしまい、
汗はだらだらと蒸し風呂に入ったも同然。
2リットルのペットボトルも焼け石に水って感じ。
終わった後は花火見物と総踊りに参加である。
かたずけ撤収は9時過ぎまでかかり、
跡は何をする気力もなくなり、
這う這うの体で家に帰りついたものです。

主催は加西青年連絡協議会「えんどれす」
若者のグループに顔を出したのは、
定年後3年目。
孫といっても過言ではないメンバーに
いっちょがみさせてもらった「老人会代表」だったのです。

その高齢者がよくぞまあ6年も
ボランティア参加を務めたものである。
私がふるさと加西の魅力探求を始めたきっかけとなってくれた
「お化け屋敷」でした。
近年酷暑続きで、
昨年はとうとう不参加を決め込んでしまいました。(情けないなあ)
反省して今夏はやり直すかと期していたのが、
コロナでした。
サイサイ祭り中止の案内を見ながら、
来年は体力気力的に無理だろうなとため息をついてしまいました。
こうやって年を取り、諦めて……ゴールを迎えるわけですね。(ヘヘヘヘヘ)
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法華山一乗寺

畑を覗くと、
つい先日刈り払った草が
またぞろ生えそろっている。
雨に高温が続けば仕方がない。
ただそれだけではない。
畑は喜びもプレゼントしてくれる。
立派なナスビにししとう、ピーマン。
トマトは青い実がついている。
カボチャも快調に成長を見せている。
網干メロンも大きなのが一個見つけた。
害獣の餌食になる前に収穫しないとなあ。
帰宅して早速茄子はマーボナスに。
猪等はフライパンで空炒め、醤油で食べた。
暫くは夏野菜を堪能できそうだ。
この喜びがあるから
野菜作りは止められない。

深夜1時前。
もう少し落ち着いたら、
始めようと思うウォーキング。
欠かせないのは北条鉄道沿線闊歩だが、
加西には結構楽しめるコースがある。
市内のコースを紹介した本まで出ているから、
ウォーキング実行に不便はない。

定年退職した後始めたウォーキング。
加西に生まれ育ちながら
知らずにいた名所、遺跡などなど。
歩いて実感することで
ますます故郷が好きになった。

そうそう国宝指定の建造物を要する
加西市を代表する法華山一乗寺がいい。
四季折々の表情を見せてくれる優れものだ。
ただ勾配のある山道や参道石段はかなりきつい。
それでも行く価値は十分ある。(うん)
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北条鉄道

ウォーキングといえば、
昨年まで時間が許せれば、
地元唯一の鉄道「北条鉄道」沿線を、
歩いたものだ。
各駅に公募されたボランティア駅長が、
それぞれの個性で歓迎してくれる、
お坊さんの説教、絵手紙教室、切り絵、英会話、結婚相談所なんて
聞いただけで「?」
実にユニークな鉄道である。
中でも法華口駅は駅舎がパンやさんというから「へぇ~?」
オーナーがレールバスの出発を見送る姿に見とれてしまう。
最近はテレビでも取り上げられたりしている。

鉄路を一両のレールバスが、
ガタコンガタコ~ンと、
田園をのどかに走っている。
その鉄路のすぐわきの側道を、
往復すれば、
かなりいい運動になる。
しばらくコロナで休んでしまったが、
そろそろ再始動してもいいかな。
ただコロナ自粛で、
老脚が衰えて、
前のように歩けるか
いやはや、もう自信はないよ~!

でも歩いてみるぞ。
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あびき湿原

なつかしい電話が入った。
「加西風土記の里ウォーク」と」銘打った
市民ウォーキングに参加したときに遭遇したひと。
共催の神鉄でスタッフをやっていた。
相性が良かったのか、
人見知りで
人に声をかけることが滅多にない私が、
なぜか話しかけたのだ。
以来、ウォーキングに参加すると
隙(?)を見つけては談笑する仲となった。
コロナ自粛は市のイベントも。
ウォーキングも例外ではなかった。
もう数か月あっていない計算になる。
実は「まちライブラリー」通信を郵送していた。
これも珍しいことで、
決まった少数の相手しか送付しないのを、
偶然メモっていた彼の住所をピックアップ。
おかげでしばらくぶりの会話が弾んだ。
彼もコロナのせいで、
ウォーキングの仕事はゼロだった。
同い年だから本職は定年退職している。
しかし口調は相変わらず明るい。
その明るさがいつも孤独な私を救ってくれてるんだなあと、
改めて納得した。
6月に予定されていた
神鉄ハイキング「網引湿原散策コース」も中止だと知った。
コロナ自粛も解除されたので、
一応参加する気でいた魅力いっぱいのコースである。
これまでに3度散策の機会を得ていた。
豊かな自然の中に育まれるちいさな命との出会いは、
現実に荒みがちな心を癒してくれるのだった。
それが中止か~残念だ。
電話を置くと、
加西市観光案内パンフを引っ張り出した。
「あびき湿原」これだ。
多様な生物の宝庫、あびき湿原。
ハッチョウトンボを目にした時、
子供のことへタイムスリップしたことを思い出す。

ああ、もう一度行きたいなあ。

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紫電改

加西に紫電改がある!
最近注目を浴びている戦争遺跡に
華を添えている。。
模型だが
実物大の精巧なもの。
往時の名機そのものである。
近くに旧日本海軍の飛行場跡が、
当時の規模で保存されている。
点在する防空壕や機銃座跡なども。
この地を飛び立った
神風特攻隊員60数名の
若き命が失われました。
しばし鎮魂の思いに囚われます。

そうそう紫電改といえば、
ちばてつやの名作「紫電改のタカ」を、
思い出します。
子供のころ夢中になって読みましたね。

加西市にお立ち寄りの節は、
戦争遺跡巡りをお楽しみください。
紫電改が待ってますよ~!
(故郷の宣伝です。はい)

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姫路ゆかたまつり

地元のサイサイ祭りが中止。
各地の夏祭りがコロナの影響で
軒並み中止の方向らしい。
あの姫路の長壁神社浴衣まつりも中止だ。
二十代から三十代にかけて
姫路に住んでいたことがある。
勿論独身ひとり暮らしである。
風の通らない部屋を間借りしていたっけ。
いまは移転しているが
姫路城の側にあった
姫路商工会議所内の
レストラン「清交倶楽部」のコックだった。
並行してアマ劇団「混沌」で芝居に打ち込んでもいた。
生真面目で人見知りの激しい性格を
少しでもカイゼンしたかったのだ。
舞台では確かに人が変わったような演技をするまでになtったが、
プライベートでは改善の兆しすら手にできなかった。
孤独の影を背負った私なのに、
ある日、劇団に入団したばかりの高校生に誘われたのが、
浴衣まつりへの同伴だった。
「今夏は一緒に行く相手がいないんです。Sさん連れて行ってください」
何を言われているか分からないほど内心の驚きといったら。
それまでに対等に女性と付き合った経験なし。
しかも相手は高校生。
どうしていいかまず分からない。
そんな頼りない私をリードしてくれたのは彼女の方。
おかげで金魚すくい、くじ引き、的あて、りんご飴、綿あめ……
情けないことにすべて初体験だった。
幸せな気分に満ちた私に、
別れ際に彼女の一言。
「またお城まつり、連れて行ってくださいね。とても楽しかったです」
どんな状況に陥ったか、余人には想像もつかないですよね。(苦笑)

人生初のデートを思い出させてくれた
浴衣まつり中止のニュースだった。
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リハーサル

孫がバーベキューをせがむので、
急いで倉庫にしまっておいた
バーベキューセットを引っ張り出した。
もう二十年以上使っていない。
子供が4人いたころ
思い出作りにつかって以来だ。
「ちょっとリハーサルしとこうよ」
言い出した妻はスーパーのサービスチーフ。
コロナの時期は毎日てんてこ舞いしていた。
そのストレスを解消したいのだ。
器具は長年しまい込まれていたにも関わらず、
錆びてもいないし、すぐ使えそう。
隅も当時の使い残しがあった。
準備から焼き上げまでのプロセスは、実に楽しかった。
子供らの時の記憶より、
付き合い始めたころの
仲間内バーベキューの記憶の再現である。
仕事から戻ってきた娘も加わり、
賑やかな団らんとなった。
一月後やってくる孫たちが
喜ばせる自信を得た一日となった。
は~やく、こいこい、孫とのバーベキュー……♪である。
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歩く

コロナ、コロナの前は
近くのイオンモールまで
歩け歩けが日課だった。
片道45分、歩数で七千歩程度。
しかし自粛生活で
3か月近く巣ごもり状態。


昨日久しぶりに歩いてみた。
最初はブランクを感じない快調さだったが、

半分ほど行ったところで「ガクッ!」
油断をしていたせいで膝に力が入らなくなった。
暫く「ガクガクガクッ」
しだまし歩いていると、気にならなくなった。
イオンに辿り着くや否や、
休憩用のベンチに。
痛みは消えていたが、優しくさすってやった。
結局行きも帰りも1時間近くかかってしまった。
自粛であまり動かなかったツケは大きい。
脚の衰えは明白だった。
しかし久方ぶりのウォーキング、
暑さは応えたが、実に気分がいい。
といって明日から毎日、
と考えただけで、頭を振っていた。
そう急がず騒がずで、
ゆっくりと習慣を取り戻していくしかないなあ。(うん)

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駄目なやつにも挑戦権

母校から同窓会総会の案内が届いた。
数年前に副会長を退任しているが、
久しぶりに覗いてみようかと思う。
後輩たちの頑張りを支援してやりたいし、
私を陽の当たる表街道へ引っ張り上げてくれた母校に、
いまも感謝の念を持ち続けているからだった。
最初に進んだ進学校で挫折を味わい、
いやいやながら合格したが、
馴染めない工業高校電気科、それも級友たちとは一年遅れの立場。
気が入らない学校生活に、
成績はがガタ落ち、暗い性格も重なり、
学校に身の置き場はどこにもなかった。
子供のころから図書室に入り浸っていたこともあって、
国語の本を読むのは得意だった。
教科担任の先生、何を血迷ったのか、
人と会話すらままならない私に、
校内弁論大会に出ろと声をかけた。
察するに、工業高校に弁士になろうというものがいなかったに過ぎない。
いつも口ごもり無言の断りをする私が、無言でうなずいたのだ。

その肯定が私の暗い人生を一変することになった。
挫折した過去を赤裸々にテーマとした弁論は、
なんと優勝してしまった。
胸を張り心の内を叫ぶ勇姿を写した一枚が、
学校新聞の一面を飾った。
裏道をトボトボ歩いていた私が
陽の当たる表街道へ踏み出すスタート台に立った記念碑となった。
「高校時代」と表記したアルバムの1ページ目を、
新聞の切り抜きと写真を並べて貼っている。
もちろん以後も挫折の繰り返しを経験するが、
つぶれなかったのは、
あの弁論大会の奇跡の瞬間があったからに他ならない。
誰彼に「機会があったら挑戦しろよ」という。
失敗はないはずがない。
ただ成功を導くためには、まず挑戦するしかないのだから。
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珍客

珍しい訪問者が。
コロナ前までやっていた紙芝居を
いつも見に来てくださっていた
高齢のご夫婦。
情報を見つけて
他市からわざわざ足を運ばれる、
ありがたいお客さんだった。
80代半ばの女性は、
向こうの地元で
紙芝居のボランティアをやられていると聞いていた。
コロナ自粛で紙芝居公演を中止してから、
顔を合わせる機会は全くなかったのである。
我が家には、
ネヒメ広場に老いているチラシを見て
駆けつけられたのだ。
80代とは思わせない矍鑠ぶりに変化はなかった。
相変わらず積極的な言動に、
迎えるこっちがすこしオタオタしてしまうほどだった。
ライブラリーのアトリエを見ていただいた後、
「ぜひネヒメ広場での紙芝居復活させてくださいよ」
の励ましを頂いた。
まだコロナ対策を講じた紙芝居公演のめどは立たないが、
音声を録音しての紙芝居パフォーマンスの案を捻っている。
7月ぐらいに実現したいと改めて誓った。
辺鄙な田舎のまちライブラリーまで
尋ね歩いてきていただいた好意を
むげにはできない。
もう一度私の挑戦に期待してくださる方がいるのだから。(うん!)

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ペットに好かれたい

仕事が休みの妻。
待ってましたと助っ人を頼んだ。
庭先にある梅の大木が今年は鈴なり状態。
実の収穫をと思い、
脚立を用意したまではいいが、
不安定でひとりでのぼるのは危なかっしい。
躊躇していたところに妻のお休み。
脚立を支えて貰って、
3メートル近い枝の実をもぎ取った。
ついでに木にしがみつき、
ひょいひょいと取りまくった。
ひとりだと捗らない作業も
快調に進んだ。
梅ジュースに梅干しを作るだけの収穫量に大満足。
気分よく畑周りの畔の草刈りもやってのけた。
やっぱり相方が近くにいれば、
リズムよく作業は進む。

「ほら、これ見てよ」
帰宅して体中の痛みをほぐしていると、
妻が読んだ。
見やると、
居間に同居する(?)ペット、ウサギのレイちゃんを、
膝の上にのせている。
レイちゃんは自然体で身を任せている。
それはないだろう。
私もレイちゃんとは仲良くやっている。
なのに抱き上げかけるとバタバタ!
じっとしていないで身をよじってしまう。
もっと小さい頃は腕の中で
おなかを見せてくれていたのに。
「誰もいないときは俺にもなついてくれるぞ」
負けん気でつい口を突いて出たウソ。
頬笑んでいる妻。
見透かされているようだ。(笑)
てやんでぃ!
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神も仏も

深夜1時半過ぎ。
蛙の声がかき消されるような
酷い雨が勢いを増している。
またどこかで災害が発生しなければいいが。
コロナでいい加減参っているのに、いやはや。
やっぱり地球上に
神も仏もないようだ。

あの時もそう思ったっけ。
コロナ感染で川崎病に似た症状がと、
話題になったことがあったが、
我が娘が川崎病にかかったのが、
生後数か月目だった。
確かまだ目も開いたかどうか。
最初の赤ちゃんだった。
新婚気分が抜けない夫婦に
襲い掛かった試練である。
高熱に苦しむ赤ちゃんを抱きかかえて、
医者巡りをしたが、風邪の診断ばかり。
高熱がおさまる気配もなく、
知人に情報を求めた末に、
巡り合った先生は即断。
「川崎病だな。日赤に即入院の手続きを取ります」
川崎病なんて、
それまで聞いたことは皆無。
公害病と勘違いしてしまったが、
血液の病気だった。
先日川崎医師の逝去を新聞で発見した。
あの先生が発見した病気だから川崎病だった。
日赤の入院は長期にわたった。
当時新婚生活にあった妻は、
娘に付き添って病院暮らしを余儀なくされた。
一方の私は、
やっていた喫茶店をひとり切り盛りするしかなかった。
夜11時に店を閉めると、
その足で日赤に向かう日々となった。
くたくたになりながら、
深夜の日赤詣では続いた。
点滴につながれた赤ちゃんと、
そのそばで食らいつくように眠る妻。その光景を、
確かめては安堵したものだった。

あの時も、
世の中に神も仏もないと恨んだものである。

考えてみれば、
あの過酷な日々が夫婦の絆を確かなものにしてくれたのだ。
結婚生活40年以上、
4人の子供も巣立ってくれた。
神や仏のご加護……だったのかなあ?
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家族のために迷コック

もう誰も信じてくれない。
白髪爺さんに青春があったことを。
白いコック服に身を包み、
ソースやスープなどを自在に
調理していたことを。
いまは家族の料理番。
家庭料理に頭を悩ませながら作る姿に
フランス料理のコックをダブらせる人はいない。
「お父さん、味噌汁や丼美味しいけど、
本当にコックさんだったの?」
娘の言葉が象徴している。
大体家庭料理にフランス料理は不向き。
日本の家庭には
日本式の家庭料理が最も合っている。
専門外の家庭料理を作るのに、
クッキングサイトで予習復習は必須。
「おいしいよ」
と家族に言わせるのに手抜きは出来やしない。
昨夜は
筑前煮と鰆の西京焼き、ニラ玉、お浸し、
洋食系のオムレツ(プレーン)に味噌汁という組み合わせ。
「おなかいっぱい」娘は完食。
これでいいのだ。
家庭の料理番、いいじゃないの。
遠い過去の栄光の日々は
もう封印してかなり経ってしまった。
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いよいよ

きのうは雨が小休止で、
暑い一日だった。
自転車で畑に出向いたが、
ここしばらくの雨と高温で
またまた雑草が成長していた。
しかも水がたまったままだ。
草刈りは後日ということにした。
帰りは登りで、
自転車をこぐのも、
シャカリキにならないと前に進まない。
帰りつくと暑さに
少々へばってしまったようだ。
ねひめ広場運営会議を担当する
市役所のOさんからメールが入っていた。
「ふるさと川柳IN加西」の展覧会チラシが
できあがったとのお報せ。
こうなると
俄然やる気になる。
コロナ何物ぞ!である。

作業に没頭も、
夕方は食事の用意がある。
娘が帰宅するまでに作り上げなければ。
覗いた冷蔵庫に冷凍庫、
なんとも貧相な在庫である。
そんな時は、丼物がいい。
中華丼に決めた。
決まるとノンストップ。

娘の完食に胸をなでおろした。

どんな時も、
委ねられた仕事は手を抜くことを知らない。
凡人は生真面目さが一番だ。
酷い人見知りで、我が道を行くタイプの私が
人並みな家庭を築けたのは、
それに徹した生き方をしてきたからだと思っている。

いま深夜2時半。
どおんどん目が見えにくくなってきたが、
雑誌の読者投稿をかきあげるつもりだ。
いつもの締め切前日、
一夜漬けはまだまだ健在である。(へへへ。苦笑)
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馬鹿正直な生き方

深夜二時。
仕事に出かける家族の弁当用に
ご飯を炊いた。
炊飯器が壊れて以来
鍋で炊いている。
炊きあげ、蒸らす時間をいれて
20分だから、
炊飯器より早く炊けるのがいい。
同時にご飯のおかず用に
チキンカツを揚げた。
むね肉をカット、パン粉をつけ
冷凍しといたものを、
油に熱を加えるのと同時に放り込む。
カツにふさわしい色になると完成だ。
寝る前に妻がひと言。
「明日弁当がいるの」
保育士の娘は職場で給食が出るから
気にしなくていい。妻だけだ。
「やる気になったら用意しといてやる」
口ではそっけなく答えてしまうが、
根が律儀、いや馬鹿正直というべきか。
必ず間に合わせて調理してしまう。

ど田舎に生まれ育ち、
いまも夜遅くシカやイノシシが
家の周りに出没する、
サファリーランド状態の故郷に住む。
狭い田舎社会は
子供の頃から社会の情報から切り離した。
おかげで朴訥な人間に育ってしまった。

だから
私の恋ストーリーも、
人並みなものにならなかったのだろうな。
アマ劇団の活動を通じて
人生唯一のパートナーに出会うまで、
女性と交際する機会は、
何度となく手にしたが、
みんな最悪の結果を呼び無くされた。
その原因は、
「清く正しく」をモットーに育った
田舎ッペだったからだと、
いまならわかり過ぎるほどわかる。

喫茶店のマネージメントを任された時代、
バイトに来た女子大生と付き合い始めた。
これまた相手からのアタックだった。
8歳違いだったっけ。
3年続いたが、
小学校教師を目指していた彼女は、
教育実習を機に、
「先生になるのが夢なの」
何も言えなかった。
人の夢を邪魔などできないが私の考え。
高裁は手をつなぎハグまでいたったものの、
それ以上は
(清く正しく)の生き方をする
私には進めるはずがなかったのである。
そして三度目の失恋を味わう羽目に。
立ち直るまで半年余り、
それを乗り切った時、
私は新たな挑戦に踏み切った。
独立、自分の店を持ったのである。
仕事に挫折、恋に挫折、人間関係に挫折
挫折を繰り返すたびに、
何か月かの沈黙。
そして行動に移る。
挫折はいつも私を強く復活させてくれた。
痛みは私の成長の原動力となったのだ。

雨が上がったようだ。
蛙の合唱がトーンをあげた。
明日は
また雨になるかも知れないなあ。

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梅雨の青梅

断続的に降る雨。
かなり強くなったりやんでみたり、
梅雨の意地悪さといったら。
タイミングを図って、
青梅の収穫を強行した。
娘が彼氏のために
梅酒を作ると言い出した。
それも今日相手の家に出向いてというから、
「天気がようなってから」
なんて悠長なことを言ってはいられない。
時折思い出したかのようにポツリの雨に
打たれながらの作業となった。
3メートルばかりに死だった烏煙の木は、
今年も鈴なりの実をつけている。
梅酒なら少々青い方ががいい。
上の枝へ手を伸ばすと、
葉っぱの水滴が顔に落ちる。
上向き状態もきつかったが、
ざるに山盛りの収穫である。
娘よ、うまく漬けてくれよと、
念じながら袋に詰めてやった。
まだ結婚につながらないが、
毎週食事作りに通っている。
幸せな時期だろう。

私も同じ体験をしている。
10年勤めたレストランを辞し、
次に駅ビルの喫茶店に映ったが、
アマ劇団の方も
自分のやり方を求めて
新しいグループを旗揚げ。
集まったメンバーは若者が中心。
その中に高校生の女の子がいた。
高校演劇部でバリバリやっていたという。
全国大会へ部を引っ張っていった経歴の持ち主だった。
真面目な情熱で頑張ってくれた。
T・ウィリアムズ、木下順二の戯曲をともに取り組んだ。
その彼女に3年後、逆プロポーズされた。
とんとん拍子にはいかなかったものの、
彼女は私の人生唯一のパートナーとなってくれたのだ。
生真面目に演劇も仕事も取り組んでいたのが
功を奏したらしい。
その彼女が弁当を作ってくれた。
内緒の話、料理は上手ではなかったが、
恋心の隠し味はそれを補って余りあった。

展示用に作成中の
「ふるさと川柳」の一部の写真もアップ。
img010.jpgカマキリを.jpg

ガムシャラに

深夜1時半。
開け放した窓から
相変わらず蛙の大合唱。
連日である。
よくぞ疲れないものだと感心する。

今日は目はパッチリ。
書斎(?)の片付けにかかった。
作業机の上は元より、
歩くのに用心が必要なほどの
ゴミ屋敷状態。
自室には家族の立ち入りを禁じている。(ちょっと大げさかな。笑)
だから片付けるのは私の気分次第。
企画にかかり始めると必ずこうなる。
2週間分の衣装や小物が山となっている。
これをいっぺんに片付けるのは快感でもある。

遠い昔、
わが青春時代もそうだったなあ。
そうそう恋ストーリーは
書店における失恋(ただの思い込みだったかも)に懲りて、
以降10年近くプラトニックラブすら皆無だった。
ひたすら仕事と、
失恋時に飛び込んだアマチュア劇団の活動に打ち込んでいた。
書店勤務は6年ほどで見切り、
将来飲食業の独立を期した転職を図った。
当時は外食産業が脚光を浴び始めた時期である。
加古川から姫路に移り、
調理師学校に、
早朝の中央市場と夜勤のF観姫路ホテルで
アルバイトをしながら学校へ通った。
1年で調理師資格を得ると、
姫路S会議所のレストランに就職。
コックとして10年、
勿論アマ劇団の活動と両立の日々だった。
恋ストーリー第3弾は書店時代から5年目。
会議所に勤務する女性と意気投合。
なんて言ってるが、
相手に引きずり回されて3年で、
「眼鏡の男性って、好きになれないの」
と訳の分からない理屈で、またまた失恋。
当時黒縁で牛乳瓶の底レンズだったからかも。(苦笑)
傷つきはしたが、
二度の失恋を経験したおかげで、
自分の夢に生きる負けん気を貰えたのだと思っている。
仕事上の失敗もそうだが、
恋愛の葛藤も成長の糧となるものと信じることだ。

まだ蛙の声。
明日は雨になるかな。
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山あり谷あり、そして……

梅雨です。
朝からの雨に足止めを食い、
予定していた畑仕事を諦めて
在宅ワーク(?)と切り替える器用さは
持ち合わせていない。
怠け心を優先してしまうのは
我が人生を象徴している。
それでも夕方過ぎから
7月20日スタートが決まった
「ふるさと川柳作品展」の
段取りに着手した。
一夜漬け人生を未だ反省しない
私には珍しく、
早い取り組みである。
作品を拡大コピー、
額フレームにピッタリ収まるように
下紙に貼り合わせカット。
結構緻密(?)な作業になった。
80数点仕上げると、
それなりに疲れを感じた。

深夜、
いつもなら目がパッチリ、
何かをやってのける夜型人間も、
不意に襲った眠気に従ってしまった。

目が覚めたのは、
なんと朝9時前。
貴重な時間を無駄にしてしまった感がある。
といってすぐ頭は働かない。
しばし、ぼーっと過ごすしかない。

そうそう
私の人生2度目の恋スト-リー、
当然のごとくポしゃった。
誘った行く先は岡山の後楽園。
実はほかに思いつかなかっただけ。
狭い世界を生きてきた私に
青春を満喫できるスポットの
情報があるわけはない。
誰かが話題にしているのを盗み聞いたものだった。
気持ちだけが先走り、
何の用意もなく初デート。
今思えば、
彼女は退屈の極みだったに違いない。
「今日は楽しかったです」
別れの言葉はお愛想だったのだろうな。(笑い)
それからの職場での彼女の態度、
実に事務的。
独り相撲で気持ちを高ぶらせる私は、
それをどうするすべもなかった。
結局、
「ごめんなさい」の最後通牒。

何も考えられない絶望状態の私は、
店の常連だった小学校の先生に救われることになった。
「きみ、シェイクスピア読んでごらんよ。そうだ、お芝居やってみない?」
優しい口調の問いかけと、
先生の笑顔はいまだ鮮明な記憶に刻まれている。
わたしの人生が花開くきっかけの出会いだった。

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二つ目の恋スト~リ~

3か月振りの
ねひめ広場運営会議に出席。
まだコロナの完全収束とはいかない時期に
果たして何人出席かな?と
ネガティブ思考に陥ったまま、参加した。
案に相違
して集積の顔ぶれは、
コロナ前と同じ。
嬉しかったなあ。
ただ、今後の広場活用に
些かの制約は免れず、
コロナの影に押された形の再始動となる。
広場で大々的な
「みんなで選ぼう!ふるさとベスト川柳」イベントは
諦めることにして、
広場前のウォールギャラリーでの展示と、
閲覧していただいた市民の皆さんに
イチ押し作品を選び投票してもらうことにした。
表彰も
入賞なった作者へ
入賞案内を郵送することに決めた。
副賞は加西市のイメージがある地場産品とした。
応これで募された100人近い作者への責任を果たせるだろう。(ほーっ)

深夜2時になろうとしている。
昨日に続く青春の記憶をと集中した。
そう、
あの5年生の最後に
席が隣り合わせだった女の子に好意を告げられながら、
何も対応できなかった
みじめな男の子を演じたときから、
中学高校と、
異性との恋ストーリーは皆無のまま過ぎた。
その間、僕を少し成長させてくれたのは、
やっぱりというべきか、
先生たちだった。
しかし今は、恋ストーリーをたどってみたい。

社会に出て就いた仕事は
書店の店売スタッフだった。
選ぶことになった諸事情も後日にでもということにする。

二つ目の恋ストーリーは、
勤める書店に、
1年遅れて入ってきた事務の女の子とだった。(女の子と称するのをご容赦ください。)
彼女とは仕事エリアが違っていたが、
書籍や雑誌が納品されると、
その垣根はなくなった。
当時売れに売れていた少年ジャンプなどの
荷解きと納品チェック、そして店頭陳列まで、
まさに時間とのせめぎ合いだった。
ほかの書店より先にジャンプを店頭へ山積みするのが責務だった。
売れる雑誌販売はまさに時間との勝負だった。
だから、書店員あげての作業となった。
週刊誌と一緒に書籍の段ボール箱も納品されるから、もう戦場である。
二人一組で納品作業をする。
納品伝票と睨めっこで書籍名、発行所、売価などを読み上げる彼女。
それを現物の書籍を手に詳細な確認をするのが店売の私。
何度も同じコンビで仕事をしているうちに、
私の心は、
彼女の声とか、些細な動きに魅入られていった。
仕事帰りが一緒になった時、
緊張で金縛り状態になりながら声を絞り出した私。
「あ、あのう……今度の休み、後楽園へ……」
「ん?なに?」
まともに見合ってしまった彼女の笑顔。
畝キュンの瞬間だった。
「い、一緒に行かへん……」
情けない裏声になってしまった。
それを彼女は、「うん」と頷いてくれたのだった!
人を誘う、まして異性を誘うなどと、
私はまさに天変地異を乗り越える勇気を
奮い起さなければならなかった。(頬笑む)

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恋は成長の糧(1)

きのうも暑くて、
もう何日も雨が降らない。
畑は乾ききってしまったが、
夏野菜諸君は頑張って耐えてくれている。
汗だくだくで水をやり終えてホッ。
あと何日かで梅雨入りらしいが、
それまで老骨が
持ちこたえてくれるかどうか?

そんな中、ちょっとハッピーに、
コロナ恐怖に陥って以来、
明るい話題はとんと縁が亡くなっていたが、
ここ数日嬉しいことが続いてくれる。
高齢加速孤独加速に鬱屈状態を迎えていたから、
N運営会議再開の知らせが最大の朗報。
ウハウハとなっている。。
10日の夕方7時開始と、
市の担当者から連絡があったので、
もうその時間が待ち遠しくてたまらない。
3か月ご無沙汰だったメンバーたちとの、
顔合わせがまた実現するのだ。
ハッピーになるのも当然である。

もう一つはわが娘のこと。
40後半で授かった末娘。
孫みたいなものだから可愛くてたまらない。
彼女が恋を手にしたようだ。
愛に発展するかは本人たち次第だが、
先に幸あれと願う父親である。

そういえば
私にも恋ストーリーああったよな。(うん)
極度の人見知り、友達を作れない、
自分の殻に閉じこもることが一番だった。
そんな暗いタイプの男の子が
人並みの恋を経験しただなんて誰も信じないだろうが、
結婚して家庭を半世紀以上守ってきたのだ。(内心どんなもんだいと、どや顔。笑)
生涯(そういえる年令)を通じた私の恋ストーリーの相手役は
プラトニックも入れて7人もいてくれたんだよな~、奇特な女性たち。(デレデレ)

最初に{好きだよ」と言われたのは、
小学校5年生の終業式の前。
席が隣だった女の子がそ~と体を寄せて囁いた。
私はもう驚天動地!
顔を真っ赤にし、全身を緊張、絶句!
情けないオノコは、
恋の好機(?)を逸したのだった。(自ら嘲笑)

また蛙の合唱が大きく聞こえる。
いま深夜2時前。
とりあえず風呂に入ることに使用。
明日の運営会議のために
頭を洗い、ひげをそり、体を磨くのだ。
この気持ちがあれば、
まだまだ老いぼれはしまい。(うん)
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白昼の愚行

暑い日が続いている。
涼しいときに畑仕事が普通だが、
家下の倉庫部分に設えた、
まちライブラリーのアトリエに
展示している作品の
展示レイアウトの手直しを優先した。
この7月に
ねひめ広場展示ボードを使い
公開するリハーサルでもある。
コロナの2波がなければ
実施することになっている。
これまで休止されていた
ねひめ広場運営会議の再開の
連絡があったばかりで、
ちょっとやる気モードである。

畑は正午を待って向かった。
300メートルほど離れているので、
いつもなら自転車だが、
今日は歩きにした。
携帯用の草焼きバーナーを手に急いだ。
刈り払った草が
連日の暑さで程よく乾燥しているはず。
昼の時間帯なら、
周囲に人も出ていないので、
いつもその時間を狙って焼いている。
しかし、暑い!
畑で枯れた草の残骸を燃やし始めると、
ますます暑い。
日陰もなく汗がにじむ。
草焼きが終わると、
なんと暑さ負けしている
野菜に水をやった。
暑い最中の水やりは避けるべきだが、
もう一度ここへ出向いてこれる自信がない。
ままよと水をやった。
大きめのポリバケツを土中に埋めて
水をプ-ルしている。
如雨露にすくう。
何度もそれを繰り返す。
元気のない野菜苗には
かがんで優しく丁寧に対応してやる。
からからに乾いた畝の全体を湿らすのは、
暑さと相談するとできそうにない。
そこで一本一本の根元に水をくれてやる。
火で熱し煙でいぶした畑を水で潤す。
なんとも矛盾を感じてクスリ。

水をやった-!という
自己満足に浸りながら畑を後にした。
家に帰りつくのがやっとで、
(我ながらだらしないね。笑)
もう何をする気力も失せていた。
img004.jpg春.jpg一年間.jpgなにもきて.jpg

僕には本があった

暑いのを言い訳に
畑に足を延ばすのをやめた。
家の裏手にある畑は、
なんとか水やりをやってのけたが、
離れた畑の野菜たちを裏切ってしまった。
暑いのは野菜たちも同じ、
言葉をしゃべれない分、
暑いのを訴えることなど出来ない。
乾ききった畑が頭をよぎったが、
(一日くらい……)
その一日が野菜には
致命傷になりうるというのに……。
明日は絶対朝いちばんに、
野菜たちに挨拶しよう。

ふと、
他人を前にすれば、
全く何もしゃべれず
真っ赤な顔で俯くばかりだった
子供時代を思い起こす。
写生大会で得た
ちっぽけな自信と喜びも、
山下鏡子先生が担任でなくなるとともに、

また前のように
影が薄く孤独な子供になってしまった。
唯一の救いは図書室。
手当たり次第に本を読んだ。
「〇〇くんはどこや?」
「あいつ図書室やんか」
「そやったのう」
先生と級友の会話を、
廊下で耳にして、
入りかけた教室をUターン、
図書室へかけ戻った情けない経験もあった。
どんどん
周囲が認めるほど
自分にこもる子供になってしまった。
ただ読書は私を守ってくれた。
普通なら苛められる子供のタイプだったが、
読書で頭でっかちになった私の雰囲気は、
近寄りがたく、
苛める気にはさせなかったようだ。
しかし
運動が苦手な子供の居場所は、
小学校にはなかった。
遊び相手にもなれない運動音痴(当時そう呼ばれたことがある)では、
なおさらだった。
図書室、そこに溢れていた本がなければ、
根暗な変わり者の子供に
明日の希望はなかったに違いない。
少年少女世界・日本文学のほとんどは
5年生になるまでに読破した。
おかげで
国語の成績だけは別格だった。
(負けてたまるもんか)
負けん気の原動力にもなった。

今私がやっているまちライブラリーで
本に囲まれながら、
(本はいいぞ。決して裏切らないし、
世界の主人公にさせてもくれるんだぞ)
誰ともなく訴えかけている。(苦笑)

img003.jpgキューリ.jpg

草刈り始末

体のあちこちが痛く重い。
何もする気が起きなくて、
録画しておいた
ディズニーの「ジャングルブック」を視聴。
主人公の少年以外はCGらしい。
確かに素晴らしいと思うが、
昔人間の私は素直に認めたくない。
なぜ実写で
その感動を見せてくれないのだろう。
お年寄りのグチが、また出た。(嘲笑)

おっと、
体の異常の原因は、
草刈りを頑張り過ぎたせいである。
レンゲ畑にしたエリアの二度刈りだった。
前回は上っ面を、
今回は残った根元部分の片付けである。
数日前に焼いておいたので
しつこく絡みつくレンゲも
あっさりと刈られてくれる。
しかし、
土と灰のホコリは尋常じゃない。
刈り終えたときは
草まみれ、土灰まみれと、
いささか恥ずかしい風体になっていた。
とはいえ、
刈り終えた畑をひと睨みすると、
自然に顔が綻んだ。
そして満足感が
じわじわと沸き上がった。

その結果が、7時間後、
深夜1時に襲い掛かった痛みだった。(苦笑)
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初めて褒められた日

今夜も蛙が賑やかだ。
ゲコゲコゲコ、
いやゲロゲロゲロかな。
モニター画面に
目を細めているときは
さほど気にならなかったのが、
一度耳に止めてしまうと駄目。
集中力は途切れて、
ぼんやりししてしまう。

そうだ
今日は歯医者に行ったんだ。
それに
ものすごく暑かったなあ……
とりとめなく思い出す。

不思議に
記憶は過去もリアルタイムも
差異はない。
あの日あの時が鮮明に浮かび上がる。

山下先生、そうだ鏡子先生だった。
覚えている小学校時代の先生で、
下の名前までシッカリ覚えているのは、
山下鏡子先生ただひとり。
どうしてだろう?
そうだ、
僕を初めて褒めてくれた
母以外の女の人だったんだ。
「へー、上手だね。写生好きなんだ」
突然かけられた言葉に
固まってしまった私。
そう可愛げに欠けた
影の薄い子供……。
画板に向かって
写生に夢中だった私を
背後から覗きんだ山下先生だった。
「木の緑、綺麗に塗れてる。上手だよ」
何ひとつ受けごたえ出来ないのに、
山下先生の笑顔はちゃんと盗み見ていた。
初めて褒められた嬉しさを、
表に出せる子供ではなかった。
しかし効果てきめんだった。
ほかの勉強はできなくても、
図画の時間は目の色が変わった。
山下先生は
目標を失いかけていた子供に、
夢中になれるものを与えてくれたのだった。

「おめでとう。みんなが上手だって認めてくれたんだよ」
写生大会で金賞に選ばれた私に、
わがことのように、
満面の笑みで、
賞状と副賞のクレヨンを手渡してくれた先生。
はにかみ、顔を真っ赤にして
モジモジしっぱなしの私だったのを
はっきりと思い出す。
級友の笑い声は、
あの棒のぼりの時のものと、
まるで違うのがわかった。
図書室で
本の世界に浸ることで救われるしかなかった子供が、
絵を描くという新しい目標を手にしたのだった。
私に新たな希望を与えてくれた山下先生を
今も懐かしくん思い出すのは当然だろう。

ひょいと現実に戻った。
蛙の声はつづいている。
深夜1時半。
階下の倉庫を覗いた。
明日からスタートする
「ふるさと川柳」の作品展らん会の
陳列の確認をした。
コロナを忘れるために
いっぽいっぽ前に進むことが大事だ。
できることをやってのける。
今の私はそれしかない
お年寄りなのである。(自覚!笑)

img001.jpg秋.jpg春.jpg夏.jpg

馴染めぬ現実

深夜1時。
寝静まった家を気遣いながらの入浴。
開け放した浴室の窓から、
あの賑やかな蛙の歌が飛び込んでくる。
田舎ならではの醍醐味とでも言えるかな。(苦笑)

昨日は久しぶりに
妻の買い物に同行。

実は市役所やそのほかへ
出来がったイベント通信のチラシを
配布するため。
しかし、
久しぶりの訪問先の変貌に
驚いてしまった。
閑散とした市役所、
窓口には透明の遮蔽物が。
そそくさとチラシを頼んで、
逃げるように市役所を後にした。(勝手が違うと、こうなってしまう性格。笑)
買い物も、違和感がついて回った。
マスクでガードの私と妻。
入り口に
「買い物は一人が代表して……」と案内表示。
待機する私の目には、
マスクなしの買い物客が飛び込む。
さほど多くないお客さんの中だから、
かなり目立つ。
(怖くないんだなあ)
臆病者の私には考えられない光景だった。
まだまだ私が気楽に
出てこれる町ではなさそうだ。(かなりショック)
帰宅すると、
何もしなかったのに
疲労感が体を支配していた。

夕食の用意まで、
暫く横になっていると回復。(やれやれ)

9時過ぎから
「ふるさと川柳IN加西」の応募作品を広げて、
選考の真似事をした。(これもかなり疲れた)

そんなこんなで
深夜の入浴となった次第である。

蛙の大合唱は終わる気配は
全くなかった。
ザブリっと顎のあたりまで
湯に身を沈めた。(いい気持ち。いきているって感じがする)
齋藤恒義.jpgimg033.jpg

ぼくの神様

小学校に入った早々に、
未来への希望を閉ざされた私。
その後も
暗く寂しい学校生活を余儀なくされた。
自己主張するどころか、
先生や級友の目に留まらない
存在である続けた。
誰も、
そこにわたしという存在があることに
気付かないように思えた。
絶望感を過ぎると、
もう諦観に似た心境に陥ってしまった。
毎日の学校生活は、
いくら苦痛に思っても、
逃げる勇気などあるはずもない。
諦めるしかなかったのである。

捨てる神あれば拾う神あり。
そのまま何も変わらなければ、
多分私の人生は
無くなったに違いない。
しかし、
幼い小学生は救われた。
救ってくれたのは
先生でも級友でも親兄弟でもなかった。
人間ではなかった。
(あ?)
トイレに向かう廊下で、
それは目に飛び込んだ。
半分あけ放たれたドア越しに
見えたのは本だな。
ギッシリ詰まった本が
さ迷える幼子を誘った。
自分で行動を起こすなど、
自分でも信じられなかった。
図書室へ足を踏み入れた私。

この瞬間、
私の未来は、
また開くことになった。

どんな時でも、生きている限り、
何らかの出会いは避けらないものだ。
人でありモノであったとしても、
その後の自分に影響を与えるのを、
理解したのは
大人になってず~っと後である。
一期一会。
図書室との出会いは、
私を
鬱屈した世界から
引っ張り出してくれたのだった。

また昔々の思い出に浸ってしまう私。
深夜、
暑いので開け放した窓から
蛙の大合唱が飛び込んでくれる。
騒音同然に思った蛙の歌も、
連日聞かされて慣れてしまった。
それどころか、
耳にして快感に似たものを
感じてしまうこの頃である。
疲れを知らぬ蛙の歌に、
思わず頬笑んでしまう私に驚いた。
その歌が、
私の記憶をよみがえらせてくれるのだった。
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まちライブラリー、コロナ後へ

コロナ自粛解除を受けて、
休止していた
根日女創作倶楽部@まちライブラリーを
再起動させました。
コロナ前の活動ができればと
願うばかりです。
6月5日から
ライブラリーアトリエで
『ふるさと川柳IN加西』応募作品の
展示を実施します。
少しづつ
前の情熱を取り戻し、
紙芝居イベントなども
復活させたいと
心に期するものがあります。
忙しいのが一番。
年齢を忘れて奮闘開始です。(うん)
案内チラシも作成できました。
また配布に回らなきゃ。(イソイソ。笑)
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ほ、ほ~~蛍~♪来たな

蛙の合唱が始まりかけたとき、
帰宅した娘、
職場の同僚から
蛍の話を聞いたとか。
それで
ちょっと気になって外に出た。
我が家は
庭より一段上がって建てている。
見下ろしてみる。
広がる闇に眼を凝らしてみた。
そして見つけた!
淡い淡い
儚げな光の点滅を。
蛍だ!
毎年に輪を飛び交ってくれる蛍が、
この夏も
庭のあちこちに誕生してくれたようだ。
少し前に
草の幹に蛍が産み付けた卵を
見つけていたが、
実際に蛍の光に出会うまで、
気が気ではなかったのである。
まだ生まれたばかりなのか、
儚げな光を放ちながら、
舞う気配を見せない。
しかし
明日くらいから
ツィ~~と舞ってくれるはずだ。
「おい、ホタルや。今年も来てくれたぞ」
呼びかけると、
妻と娘も急いでやってきた。
しばし蛍の光の点滅を眺めながら、
コロナも忘れて
幸せな一時を送った。
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うっとおしい

朝から雨模様。
畑にも行けず、
ぺっと相手に
ぼーっと時間を送る羽目に。
娘が日曜で家にいるので、
お昼が来れば食事の用意だ。
むやみに外へ出られない。

ふと(俺の人生、決まったのは、やっぱりあの瞬間だよな)
突拍子もない思い出が頭に。
小学校1年生の運動の時間。
棒のぼりの授業だった。
長尺の丸太が何本も立てられていた。
それを木登りよろしく登るのだ。
田舎の子供ばかり、
みんなすいすいやってのける。
自分の番が来ると思うと、
体は緊張でガチガチ、
丸太に手をかけたが、
そこから動けない。
みんなの目が気になって顔は真っ赤に。
そして、
先生の「どないした、〇〇。ミノムシになったか」に
ゲラゲラと笑いが巻き起こった。
級友たちが大口開けて笑い、
てんでにはやし立てた。
益々体が金縛りにあったようにガチンガチン。
笑いの餌食になった
いたいけな(?)私は
その瞬間、希望にあふれた人生を失うことになってしまった。
挫折続きの人生だった私の原点は、
あの日だったなあと独り言ちた。

昼前に雨は上がったが、
滅入った気分が改善することはなかった。(ネガティブだなあ、オレって))

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