故郷のお話4(根日女昇天4)

「おとうさまをお残ししては、根日女は気がかりで先にはとうてい行けませぬ」
「うん?大和へか?」
 許麻はわざと問うた。弱弱しい娘の姿を前に、彼女の本音をまともに受け取れなかった。根日女は童女のごとし無邪気な笑顔を作り、目を細めた。まるで絹糸のように細くなった。
(……判っていらっしゃるのに、人の悪いおとうさまです)
 根日女が懸命に作る笑顔が、そう語っていた・許麻は根日女を見やって相好を崩した。ほかにどううけてやるべきか思いつかなかった。
「春までには、都から吉報が持たされよう」
 許麻は根日女の言葉が聞き取れなかったふうを装って言った。
「先夜、根日女は久方ぶりの夢を見ました」
「おう!そうかそうか、それはよい。夢を見るのは、そなたが回復している証しだ」
「わたしはははさまにお会いしました」
 根日女は果てしなく遠くを見つめていた。許麻は狼狽えを必死で抑えた。根日女の母カナヒメは、幼い娘をかばい自ら雷に打たれて死んだ。愛する妻を目の前で喪った許麻の悲しみが癒えるまで、気の遠くなるほどの歳月を要したのである。その身代わりとなって神に召されたカナヒメが娘を迎えに夢の中にあらわれた。つまり……!そんな不安がいきなり襲ったのである。
 根日女は母のすべて、美しさと優しさ、神秘的な力をそっくり受け継いで成長した。カナヒメに先立たれて生きる気力を失いかけた許麻を再生させてくれたのは、その娘だった。その娘が、いま病を経て朽ち果てようとしていた。
 賀茂の国は巫女としての能力を備えたカナヒメの存在が、国土に豊かな繁栄を与えてくれた。そのカナヒメが亡きあとは、新たな巫女根日おんなが賀茂の民人の心に潤いと希望を与えた。賀茂の国の未曽有の隆盛は、武骨一徹な許麻の統治だけでは成し遂げらなかっただろう。
 それを許麻はよく知っていた。
 許麻は根日女が神に召されたあとの賀茂の国を想像しては、背筋に悪寒を走らせ怯える昨今だった。荒廃しきった国土と国の民人らの絶望に崩おれる姿を間に、手をこまねくしかない無力の許麻がいる。許麻の脳裏をいとも鮮やかに直撃しては巡るのだ。
(老いたわしには、もはやどうしようもあるまいて……!)
 許麻はいつしかそう達観するようになっていた。
「おかあさまは何も申されなかったわ……ただ、ただ……記憶にある、あの頬笑みを下さっただけ……」
 許麻はわが妻だったカナヒメが娘の夢枕に立って何を伝えようとしたのかが判る。根日女の苦痛の日々に終幕を一刻も早くおろさせてやりたい。父である許麻とて念じる気持ちは同じだった。
「母羽のう、根日女。そなたとそっくりに、うぬn、優しい女人じゃったぞ」
 許麻の嘘偽りのない呟きだったが、根日女はもう聞いていなかった。疲れ果てた娘はすでに眠りに入っていた。寝息すら生気を感じさせない根日女は、ひとまわり小さく萎んで見えた。
(わしの仕業で……)

 物心ついたときから賀茂の国の民人や父許麻のために、母の代役を務めざるを得なかった根日女は、その宿命に殉じるために、愛を捨てさえしたのだ。
(わしが…この父が……そなたの幸せを奪うてしもうたのだ……!)
 許麻は同じ後悔を何度繰り返して来たか判らない。いまさら取り戻すことなど、とても覚束ぬ歳月を歯ぎしりしながら振り返ってばかりいた。
「お屋形さま!」
 先ほどの次女が部屋の敷居の向こうにに控えていた。
「何か?」
「いま都からのお人が。皇子さまです」
「な……!」
 許麻はしばし絶句した。
 それからいかにも大儀そうに口を開いた。
「そうか…都から、人がのう……?」
(続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)

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