兄ちゃん

二人っきりの兄弟だったことを不意に思い起こすことが多くなった。年を取った証しなんだろうな。でもおかしいことに、兄ちゃんの顔がよく分からない。いつも笑顔だった記憶はあるが、その笑顔がぼやーっとしたままで、焦れったくてたまらないんだ、兄ちゃん。
 仕方ないよな。兄ちゃんが天国に旅立ってから、三十年以上も経つ。俺はもう七十代。まだ認知症とはいかないけど、少しづつ物覚えが悪くなっている。それでも一番忘れてはいけない兄ちゃんの顔が不確かなんて、駄目な弟だな、俺。悔しいし、寂しいよ。
 いや!先立った兄ちゃんが恨めしい。おかげで三十年一人っ子、母さんを見送り、今は脳梗塞に倒れた父さんは寝たきり状態。でも、逃げるわけにはいかない一人っ子だ。本当は甘やかされ育った。頼りない末っ子なのにさ。
 頼りになる兄ちゃんの背中に隠れていればよかった時代に戻りたくなる。ひどい人見知りで、引きこもり状態だったころに。何かにつけて外へ引っ張り出してくれた兄ちゃんが煩わしくてたまらなかったけれど、その気遣いと行動性が、俺に世の中との接点を与えてくれたんだ。人並みに就職し、結婚、こどももを四人育て上げられたのは、兄ちゃんのお節介があったからこそだ。
 定年退職と子供の巣立ちが、俺を田舎の家でまた独りぼっちにしてしまった。世間とのつながりが切れ、高齢にして引きこもりの仲間入りさ。憂さを晴らせる友達は元よりいないし、俺を外へ引っ張り出してくれる兄ちゃんみたいなお節介野郎は当然いない。
 兄弟仲良く白髪頭になっている隣人を見るたびに、兄ちゃんが憎らしくなる。(なんで一人にしちまったんだ!)腹ん中じゃ悪態をついてばかりだ。どうにもならないのに。
 物置に古いアルバムを見つけた。でも開けなかった。天国の兄ちゃんが「俺の笑顔思い出してどうなるんや!いつまでも甘えるな!」と忠告してくれてる声が聞こえたからだ。
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