おかあちゃん、そして

可愛げのない子供だった。人見知りが激しく、家族にすら他人行儀に構えてしまう変な性格だから、そう見られてしまった。

 小学校に入っても全く変わらず、友達はできず、いつもひとりぼっち、朝起きると、学校へ行くのがいやでいやで堪らなかった。「おなか痛い」「頭が痛い」しょっちゅう仮病を使って休んだ。「ずる休みしょったら、ええ大人になれんぞ」と最初こそ宥めすかした両親も、何度も繰り返される息子の仮病に、何も言わなくなった。当時は日本全体が貧しく、暮らしに追いまくられて、子供にいちいち構っている余裕はなかったのだ。

 その日も朝早く田圃仕事に出かける父と母。布団にもぐっていると、母の声がかかった。

「おむすび握っといたから、腹減ったら食うときや。なんもせんでええさかい、ちゃんと食べるんやで」

 いつも思いやりが込められた母の声。それでも甘えることのできない子供に、母性愛がなす優しさは届かない。布団をかぶったまま、人の気配がなくなるのを、ひたすら待った。

「ほんまに、お前は母ちゃんの子じゃけ、しゃーないわのう。母ちゃんそっくりなん、嬉しいけんど、お前が困りよるなあ」

 その日、母はかなりお喋りだった。『母ちゃんの子じゃけ』の言葉を聞いて、布団の中で固まった。耳に意識が自然と集中した。

「母ちゃんの悪いとこ、似てくれんでよかったわ。そいでも、母ちゃん悪い思うとるんじゃ。もっとえらい母ちゃんやったらよかったんに、ごめんな、勘弁したってや。そいでも、お前はやっぱり母ちゃんの子じゃけ、他人様に負けへんわ。大きゅうなったら、分かるやろけど、母ちゃん負けん気だけは強いねんで」

 饒舌な母を見たのは、この時が最初で最後である。元来無口で人付き合いに不器用な女性なのだ。間違いなく、私の母親だった。

 九十三歳で亡くなった母。病院のベッドでゼーゼーと断末魔を迎えようとする姿を見守りながら、二人きりで一夜過ごした。母は私が息子だと分かっていた。カァーっと見開いた目を逸らせなかった。睨めっこをしていると、いきなり母の声が脳裏に木霊した。『母さんの子じゃけ』懐かしい響きが蘇る。

 あの日がスタート台だった。成長の浮き沈みを『母さんの子じゃけ』で乗り切ってきた。性格は一向に変わらなかったが、母から受け継いでいるのだと、胸を張る日々を送った。結局、母の負けん気と逞しさが、今の私を導いた。人生を無難に乗り越えられたのは、母のおかげだと信じている。

「おれ、母さんの子じゃけ。心配せんでええ」

 死を目前にする母に訴えかけた。すると、母が頷いた。幻想だったのかもしれないが、その刹那、悲しみがドーッと襲った。

「アホ!母さんの子じゃろ。人前で涙見せたらあかん。他人さんに弱音見せたらあかんで」

 勝気な母の小言が、耳に飛び込む……!

 深夜寿命が尽きた母の手を、さすり続けた。


追伸
いよいよらくがき大会が迫ってきました。
私が担当するイベントです。
みなさんも時間があれば、
ちょっと覗いてみてください。
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