助けられて

 二人きりの兄弟だった兄が事故で急死。気落ちする両親が気になり、帰郷した。たったひとり残った息子がそばにいれば、すこしは気休めになるだろうとの思いからだった。
 先祖伝来の田んぼを潰して、わが家は建った。ブリキ職人の父は家づくりを差配することで、気力を取り戻した。建築現場に毎日通い続けた母の笑顔も、しだいに増えた。
 帰郷してすぐ授かった赤ちゃんを、共働きの親に代わり、母が面倒をみてくれた。「ちゃんと世話するさかい、安心して働き」上機嫌で宣言して見せた母である。息子夫婦に頼られることが、生きる張り合いになったのだ。
 家が完成すると、なんと母は毎朝赤ちゃんを迎えに来た。手ぶらではなく、朝収穫した野菜を胸に抱えての日参である。
「いつも済みません。こないに気を遣うて貰い、ほんまに助かってます」
「なに言うとんやいな。母親がセガレの家族の助けになれるんは、そら幸せなこっちゃ」
 母と妻の会話に耳を傾け相好を崩す私。
「気持ち悪い。なにニヤニヤしてんねん?」
 長女のからかいに、Vサインで応えた。
 七年前、母は亡くなった。九十三歳の天寿全うである。亡くなるまで数年、車いす生活を送った母を、しょっちゅう外へ連れ出した。
「ここのうどん美味いなあ」「この店は安いんじゃ」「お前らも、なんか買うたるよって」
 買い物が昔から好きだった母のはしゃぎっぷりが嬉しかった。
 母が亡くなった日の深夜、私は立ち会った。母の手をさすり続ける父のそばで、母の最期から目を外せなかった。伴侶の死に落胆する父の体を支え、永眠した母に頭を下げた。
(親孝行できんで悪かったなあ、母ちゃん。兄貴みたいにええセガレになれなんだわ。そいでも、ちゃんとそばにおったやろ。なあ)
 不肖の息子は、懺悔を繰り返した。
「ほれ、タケノコ食えや」
 やはり父も母と同じ、いつも手に土産がある。好々爺ぶりは相変わらず健在だった。
「子供らおれへんし、わしと嫁はんじゃ食いきれんわ。顔だけ見せてくれたらええんやで」
「なにぬかしとる、遠いとこにおるわけやなし。家のそばにおってくれよる息子にうまいもん食わせたい思て、なんも悪うないやろが」
「そらそうやけど」
 とりとめない父と息子の会話は、いつも同じなのに、その時間がいつまでも続けと願うようになった。年を取った証しである。
「お前が近くにおってくれよるさかい、わし長生きできとるがい。有り難いこっちゃ」
 父の言葉に胸を直撃され、痛かった。
(すまんのう。親父の近くにおるだけが、わしの親孝行やなんて、恥ずかしいけどのう)
 そう思ったのはいつだったか、脳梗塞に父が倒れたのを境に思い出せなくなった。病床の父を見舞うと、必ず自分に問いかけてしまう。そして、胸の内で呟き返す。
(そいでも親父の息子なんや、俺は)
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