1995年小説・帰って来たヒーロー・4

「待っとったんかい、お前」
 東京で暮らしていてもわすれたことのない、懐かしい母の声だった。慌てて顔を上げた誠は、えらく膨らんだスーパーの袋を両手にぶらさげた母と真面に向き合った。
「なんや、買い物やったんか。また仕事が忙しいんやなと思うてたぜ」
「アホいいな。お前が帰ってくるっちゅうのに、暢気に仕事しとられんやろが。五年ぶりやで」
 それにしては、仕事以上に暢気な買い物に行っているんだよな。母らしい理屈だ。文句を言っても始まらない。何にしても母の笑顔が目の前にある。それで充分だった。
「ほうけ。こんな道楽息子に気ィー使うてくれてんやなあ。感謝せなあかんのう」
 完全に地の言葉になっている。気づいた誠は苦笑した。ふるさとに戻った。その実感が心地よい。東京で周囲と合わせるために無理に使っていた標準語。ここでは全く必要ないのだ。
「お前、ちょっと見ん間に、頭薄うなったんちゃうか?」
 母の感慨深げな言葉に、思わずのけぞりかけた。常識的に「お前、苦労したんやなあ。えろう痩せてからに」ぐらい言うべきだろう。頭は触れるべきじゃない。
 実は亡くなった父、額から後頭部にかけて見事な禿げっぷりだった。遺伝していれば、そろそろ禿げていい年齢かもしれない。誠はふいに手を頭にやった。その手が止まった。
「それはないやろ、母ちゃん。他にもっと言い方あるやろが。大事な大事な息子が、久しぶりに帰って来たんやないかいな」
 口を尖らせて誠は抗議した。胸の内は母との再会に感激で涙している。それを悟られまいと、言葉を冗談に紛らせたのだ。
「さあ、はよ家に入って休みィーな。長旅で疲れとるやろ。ああ、風呂、沸かしといたさかいな。ひとまず汗を流し。今夜は、お前の好きなすき焼きしたるで、楽しみにしとき」
 母はスーパーの袋を高々と掲げて見せた。
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