やはり子はかすがい

やはり子はかすがい

「愛情がないんだ、最初から。お互いに憎しみ合ってるから、別れるしかない。でも、子どもだけはかわいいから、困ってる」
 今にも泣きそうに訴えて来る。最近知り合った20歳の若者である。彼の言い分だと、結婚なんかしたくなかったが、、子どもができてしまったので。男らしく責任を取ったのだとなる。それが、新婚生活一か月にもならぬ危機を迎えている。
(バカヤロ!カッコつけるなら、最後まで責任を取り続けてみろ!)と怒鳴りつけたいところだが、ややこしいのは避けて、あやふやに頷いてみせる。
 それを相づちと思ったのか、自分の立場を正当づける弁舌に弾みがつく。同い年の妻は、飯は作らない、掃除・洗濯はしない、たえず出歩くなどなど言いたい放題。まるで悪妻のモデルではないか。
「僕らに、もう家庭はない。飼えるのも嫌で、最近は一晩中、呑みまわってやってる」
 なんともご大層な結論付け。聞いてるだけで反吐が出そうになる。なぜそこまで無理に結婚する必要があったのか。
 確かに妊娠は大きな理由だが、それならそれで、なぜその子どものために、いい家庭を作ろうとしないのだ。結局、身勝手なご都合主義としか言えまい。だから収まるものも収まりゃしない。
 子どもは愛玩物じゃない。だのに、子どもはかわいいと言うだけ、ほかはそっちのけで、互いの自己弁護にきゅうきゅうとしているなんて、親失格だ。「子はかすがい」は、もはや新人類世代の辞書から削られてしまった言葉なのだろうか。
 恥ずかしながら、かくいう私も、子どもが出来てしまって、結婚を急いだ口なので、あまり強くはいえないが、、「子はかすがい」は、私たち夫婦には、ちゃんと生きている。どんなひどい喧嘩中でも、「おとうちゃんとおかあちゃん、いじめっこしてる」と、4歳の長女に見つめられ、どちらからともなくニヤリ、そのまま仲直りなんてのはしょっちゅうだ。
 既に結婚生活も5年目。社会生活を長く経験する機会もなく嫁いでしまった妻には、試練の毎日が続いている。実家に間借りの状態だから、姑や兄嫁への対応に苦慮しているさまは分かっているのだが、ご多聞に漏れず雑事われ関せずで亭主面の私。
「いいわね、のんびりできて。でも、子どもが手を離れたら即離婚ってはやってるらしいわよ」
 きっと煮えくり返る腹を抑えるのに四苦八苦しているのだろうが、明るく皮肉で返す妻に掬われいる。
 それにこちらもいたって楽天家。
「じゃあ、子どもがいる間は大丈夫か。まあ、社会に子どもらが出るころは、おれも使い物にならなくなってる年だ。いいよ。新しい相手を見つけな。その方がおれもひと安心して死ねるよな」
 余裕十分に冗談で受ける。これで、険悪な二人はどこかへ行ってしまう。子どもが無邪気な顔で私と妻の手を握ってニッコリ頬笑むと、それであの幸せな家庭が帰って来る。
 夫婦は互いに自己を確立している人間同士だから、行動や意見が食い違うのは当たり前。でも、その度に本気の喧嘩をして憎しみ合えば、これはもう夫婦じゃなくなる。
 やはり、ある部分は我慢して認めてやれる包容力をお互いに持てなければ。かわいい子どもの存在がそれを助けてくれるはず!……とは、旧人類世代の思い込みなのかな、さて?
(朝日・1987年10月7日掲載)

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