調理場・その2

佳美や他のパートたちが調理場に姿を見せるのは深夜の二時過ぎと決まっている。それまでは、生ものの入らない安価な弁当の盛り付けである。ひと晩で三千食から五千食前後の弁当を盛り付ける現場は壮観である。
 ベルトコンベアーが仕込まれたラインが六本。ラインの長さは五メートル以上ある。その両側にそって白衣姿のパートスタッフがずらりと並ぶ。コンベアーで流される弁当容器に調理済みの総菜やご飯を手際よく詰めていく。フライもの、卵焼きなど同じものを受け持つので、抜け落ちは誰の責任か明確に分かる。気が抜けなくて大変な作業である。熟練したパートなら、両手を間断無く動かして殆ど抜け落ちなく詰め込む。見事と言わざるを得ない。将太も時々盛り付け場に駆り出されるが、コンベアーの流れについて行けず、両隣のパートに迷惑をかけてばかりである。
「今日は結構仕事がありそうね」
「まあな。それじゃあワサビ台を作ってくれ」
 刺身皿に添えるワサビがいる。薄くくり抜いた胡瓜を台にしてワサビを盛り込む。単純な作業だが数が多いと厄介だ。しょっちゅうやっている佳美は手慣れたものだ。そちらは任せて将太はマグロひきに集中する。
「ねえ。坂手さんは真面目やね」
 単純作業にお喋りは付き物だ。そのお喋りに付き合わないと、パートたちの反感を受けかねない。仕事をスムーズに進めるのも大変である。もともと社交性に欠けた将太には、かなりな演技力が必要になる。その点、気の合うタイプの佳美が助っ人なら気が楽だ。相手に喋らせておいて、時々合槌を打てばいい。
「坂手さんは、奥さんだけ?」
「え?」
 思わぬ問い掛けにドキッとして佳美を見やった。佳美は胡瓜と包丁を手に、将太を見詰めていた。マスクで隠れた顔の中に目だけが見開かれている。妙にしっとりと濡れた感じがある。将太はドギマギした。
「ほかの女に興味はないの?」
「そんな……」
「坂手さんて、あたしの好みなんだけどなあ」
 将太は思わず身近に『オンナ』を感じた。それは男の身勝手な本能である。まして自分から女性にアプローチするタイプじゃない男の愚かな反応だった。棚から牡丹餅なのだ。
「……お、おれ……」
 将太は我を失いかけていた。その時、
「坂手さん、幕の内1015の刺身切れてる?」
 盛り付け場のパートだった。少し年を食った彼女は急いで商品番号を口にした。生もの入りの弁当の盛り付け開始の時間だった。
「ああ、切れてる。冷蔵庫や。持っていって」
「分かった」
 パートはさっさと食材を取り出すと、盛り付け場へ急ぎ取って返した。
 気をそがれた形になった。佳美はワサビ台の作業に戻っている。何事もなかったかのようにすまし顔である。将太も我を取り戻した。残る照れくささと上気した顔を誤魔化すために、調理台を離れた。調理場の奥まった一角に設えてある通称『トリ部屋』に入った。から揚げなど鶏肉の調理専用の部屋だった。サルモネラ菌対策の隔離部屋になっている。
 将太は唐揚げ用の鶏肉が入ったコンテナーを見下ろした。ブラジル産の冷凍肉を解凍中だった。冷気は、上気して火照った将太の顔をなだめてくれる。
 (つづく)

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