縁あるひとたち・完結

 太吉が長男の忠行の事故死で受けたショックから解放されるまで一年以上かかった。良一は仕事を終えると毎日太吉の様子を見るために家に通った。憔悴しきった叔父を見る度に居たたまれなくなったが。それでも良一は通い続けた。太吉は実の父親以上の存在だったのだ。その叔父がくるしんでいるのを見て見ぬふりなど出来なかった。
 太吉がショックから脱した一年後、今度は長女由梨絵が家を出てしまった。妻子持ちの男と駆け落ち同然に姿を消したのだった。太吉は相手の家族への申し訳なさに、後日電話で連絡してきた由梨絵に円切りを宣言した。太吉は実の息子と娘を失う憂き目を体験しているのだ。
「いくら世間様に顔向けできんことしでかしたかてなあ、娘は娘や。親が唯一の味方やないか。それを……わしは縁を切ってしもうたがな。もう取り返しはつかん……」
 太吉は良一と酒を呑んだ時、酔った勢いでクドクドと泣き言を言い続けた。良一は黙って合槌をうちながらとことん聞いてやった。
 良一は知っている。太吉が家を新築しようとしているのは、良一との約束の履行をタテマエに使って、娘の由梨絵がいつか帰ろうとしたとき、その帰る場所を設けて置いてやろうという親心にあることを。
 過去のつらい体験があるからこそ、太吉は自分の愚かさと同じ道を良一に踏ませまいとしていた。それは分かり過ぎるほど判っているのだが……。

「おとうさん、おとうさん!」
「ん?」
 目を開けると、娘のなつみがせっぱつまった顔で覗き込んでいる。
「なんや?どないしたんや?」
「叔父さんが、丸岡の叔父さんが倒れはったって!いま電話があったんや」
「なに!」
 良一は耳を疑った。しかし、なつみのかおから消えない切迫感が、良一を布団から飛び出させた。

 太吉が倒れた原因は脳溢血だった。蟒蛇みたいに酒を呑んでいた太吉には、来るべきもの来たのだ。集中治療室のドアを穴が開きそうなほど睨みつけて、良一は懸命に伯父の無事生還を願って祈った。
(おっちゃん、まだ早いやないか。約束の家建てるまで頑張らな、尾rw、おっちゃん恨むで)
 良一は、あの日を鮮明に思い出した。一方的に大工になることを決めつけられたあの日、あの時が、まるできのうきょうのように浮かんだ。
 湯気のたつ旨そうな天丼、働き盛りで自信満々だった叔父の姿。進路を押し付けた叔父への反感、貧しい暮らしを支えた母の苦衷を思いやってくれた太吉を知って感謝した……心の振幅が克明に思い出される。涙を噛みしめながらしがんだ海老のしっぽは、なんとも複雑な味だった。

 太吉はなんとか持ち直した。軽い後遺症は残ったものの、日常生活に支障はないだろうと、若い担当医師が胸を張っていった。ただブリキ屋の現役はもう無理だろう。遅かれ早かれやってくる引退の時期が早まったと思えばいい。
「心配したがな、おやっさん」
 太吉を見舞った良一は、にやりと笑い返した太吉の顔を見ると、もうたまらず目を潤ませた。鼻をかんで誤魔化してはみたが、どうにもこうにもままならない。
 太吉は目敏く甥の様子に気付くと、
「情けないやっちゃのう、良は。大の男がピーピー泣いたら恥やど」
 すこし不明瞭に聞こえる震え声で言った。
「おやっさん、喋れるんか?よかった、よかったのう」
 良一の声は上擦った。
「良よう」
「何や?」
「ええか、約束通り家は建ててくれよ。わしがお前に約束させた家や。あれ建てなんだら、わしがお前を大工にさせた値打ちがのうなってしまうがな」
「わかっとるわい。おやっさん、いらん心配せんと任しとかんかい。おやっさん恨んで死にもの狂いで必死になって身に着けた大工の腕見せたるさかい。家が完成するまで、ちゃんと生きとって貰わななあ」
「おう、おう」
 太吉は震えるちいさな声ながら、懸命に絞り出した。
「ありがとうね、良ちゃん。ほんまに…おおけに」
 叔母の里子が良一の手を掴んで何度も頭を下げた。
「おい、良よ」
 太吉がぎごちなく手を上げて良一を呼んだ。
「なんや?まだ何かいいたいんか?」
「残念や……なっちゃんの花嫁姿見られんで……」
 なにか答えなくてはと思ったが、結局良一は軽く笑って頷いた。
「……ええか、良。お前の自慢の娘や。なっちゃんの晴れの門出やさかいに、気持ちよう送ったれ。わしみたいに後で後悔したら、そらもう苦しいぞ!」
「分かってる」
 良一は力強く頷いてみせた。
 病室を出た良一は、廊下の向こうに見覚えのある顔を見た。太吉の娘、由梨絵だった。二人の子どもの手を引いている。
「由梨絵ちゃん、来てくれたんか?」
 良一は会釈して言った。
「お父さん、どんなん?機嫌ええ?この病室か?」
「ああ、そうや。おやっさん、大喜びやぞ」
「憎まれ娘やのに」
 由梨絵は冗談を口にすると、照れくさげに頬笑んでペコッと頭を下げた。手をひかれている子供らも母親にならってペコッとお辞儀した。
 病院の横手にある引き戸を開けると、駐車場に続いている。良一は大股で自分の軽トラックに向かって歩いた。
 運転席に落ち着くと、煙草に火を点けた。ひと思案するのにタバコはもっとも効果がある。何気なく前に目を泳がせた。
 良一は白い乗用車が駐車場へ滑り込んできたのに気が付いた。
 乗用車は良一の軽トラックの左隣にある枠内に停まった。
「!」
 良一は言葉を失った。乗用車の助手席から姿を見せたのは、娘のなつみだった。なつみのほうもすぐ父親の軽トラックに気づいた。{あら?}と口を押えている。すると……?乗用車の運転手は……!良一は慌てて車外に出た。
 なつみの横に男性が立った。優しい表情をなつみに向けている。娘が一度あって欲しいと良一に望んで快諾されなかった、その相手だった。
「はじめまして、おとうさん。このたびは縁がありまして……」
 律儀に挨拶をする男性に、良一はなすすべもなく立ち尽くした。    (完結)(1994年・オール文芸「独楽」掲載)

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