縁あるひとたち

縁ある人たち



 世間は暖冬だ暖冬だと姦しいが、こう朝が早いと結構寒さはきつく感じられる。なによりもたき火が恋しくてたまらない。

 浅香良一は、かなり暖房をきつく効かせている軽トラックの運転席を出ると、ブルッと身震いした。バチバチと薪の爆ぜる音が心地よく耳に響いた。良一は足早にたき火のほうへ向かった。

「おはようさん。今朝は冷えるのう」

 充分暖を取ったらしく、顔を赤くした丸岡太吉が好々爺面で迎えてくれる。

「おはようっす。おやっさん、えらい早いのう」

 良一は足早に手をあぶって揉みながら口を合わせた。

「年取ったら、用もないのに直に目が開きよるでのう、しゃあないわ。もう引退も近いっちゅうこっちゃな」

「みんな笑いよるで、おやっさんが引退やなんて言うとったら」

「そらそうや。まだまだお前ら若いのんに負ける気遣いあらへんさかいなあ」

 太吉は歯のない口を遠慮なく開けて笑った。入れ歯の具合が悪いと、二、三日前から文句タラタラで、飯を食う時だけ仕方なくはめていた。

 太吉は年季の入った板金加工の老職人で、もう七十近いのに堂々たる現役のひとり親方を誇っている。その仕事ぶりは文句の付けようがないほど確実なものだった。地区板金組合の組合長も務めていて、組合員の評判はすこぶる好かった。

 良一の叔父にあたる太吉は、幼くして父を亡くした良一の親代わりでもあった。良一が現在立派に一人前の大工で通用しているのも太吉のおかげだといっていい。

 四十年前、良一は別に大工になるつもりなどなかった。中学を卒業したら周りのみんなと同じように高校へ進む気でいたのだ。

 あの日、太吉はいきなり迎えにやってきた。中学の卒業をまぢかに控えた良一に「前祝いだ!」と引っ張り出すと、駅前の一膳めし屋でご馳走してくれた。

「遠慮せんと何でも注文せえや。お前の祝いなんやからな」

 太吉はやけに機嫌がよかった。すでに一杯ひっかけていたらしく目のふちがほんのりと赤く染まっていた。

 良一は前から食べたくてたまらなかった極上の天丼を、(ほんとうにええんかな?)と伯父の顔色を窺いながらおそるおそる注文した。

 尾っぽばかり大きく目立つ、それでもかなり大ぶりのエビが天ぷらに揚げられてのっかっていた。じつに美味かった。だいたい食堂に入るのが夢みたいな環境だった。なにせ母親ひとりが必死に働いて暮らしを立てているのだ。ちょっとした贅沢も許されるはずがなかった。

 まるで餓えきった浮浪児のように、ガツガツと天丼を平らげた。残しておいた海老の天麩羅を夢見心地で口に運ぶ良一を、顔をクシャクシャにして見ていた太吉は、「さて」といった調子で切りだした。

「なあ、両よ。お前、中学卒業したら大工になれ。職人は食いっぱぐれせえへんさかいな。わしのブリキ屋もええんやけど、親せきがブリキ屋ばっかりじゃ家は建たんでのう。そやさかい、お前は大工や。大工で一人前になれ」

 さっきまでの笑顔が消えて真剣みを帯びた太吉の言葉には有無をいわせぬものがあった。良一はあ然と叔父を見やって言葉を失った。

「わしはお前に夢を託すんや。一人前の大工になったお前に、わしの家丸ごと建てて貰うんじゃ。ええか、良。このおっさの夢、叶えてくれや。わしの夢よう覚えとって、わしが老いぼれんうちに、一人前の大工になるんや」

 太吉はポンと良一の肩をたたいた。良一は思わず目を伏せてしまった。そんな甥の様子を知ってか知らずか、太吉は大口を開けて笑った。この瞬間、良一の進路は否応なしに決められてしまったのだ。

 良一には自分なりに思い描いていた進路があった。大の親友と同じ高校に上がる約束をしていた。むろんそれが無理な家庭環境なのは承知の上だった。それでもわずかな望みを捨てきれなかった。しかし、良一のはかない希望は太吉の独断であっさりと最後の根まで断ち切られようとしている。

 良一はカーッと頭に血をのぼらせた。太吉に文句を返そうとグイッと頭を上げた。そして、見た。

 太吉は両目を閉じていた。口をへの字に曲げて腕組みをしたまま、肩先をブルブルと震わせていた。

 さすがに良一も太吉の立場を感じ取った。叔父も辛いのだ。太吉は良一の母親に頼まれて、憎まれ役を引き受けさせられているのだ。

 もう良一は何も言えなかった。あわてて海老のしっぽをしがんだ。うまいのかまずいのかサッパリ分からない味が口の中に広がった。悲しくなって、グッと歯を噛みしめた。涙を叔父に見られたくなかった。泣いたと母に知られたくなかった。

(続く)

(1994年・オール文芸「独楽」掲載)

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