周囲からの好意

周囲の好意

「もう限界だな、店を閉めよう」
 夫の沈痛な言葉に頷くしかなかった私です。
 夫がこの店を始めて一年後に私と結婚、以来八年間夫婦が手を携えて切り盛りして来た愛着の深い店を閉めてしまう話では明るくなれるはずもありません。
 夫の体調不安、店の経営不振、三人目の赤ん坊誕生……と正に身動きの取れない状態にありました。これ以上店を続けることは、何か大きな犠牲を強いられるところまで来ていたのです。一年以上も続いた夫婦の話し合い。その結果が夫の言葉に集約されていました。
「またいつか頑張ればいいわよ。私たち若いんだから、ねっ」
 夫を元気付けながら目が潤んで来た私です。
 後片付けに一か月ぐらいかかり、私たち家族は失意のまま夫の実家を頼りました。三人の子どもを抱え、収入源を失った私たちに他の道は許されなかったのです。蓄えだってそうある訳ではなく、、実家の世話になるのが一番の方法でした。
 実家の納屋を何とか住めるようにして貰い、住むところだけはやっと確保できたので、今度は生活費の目処を立てなければいけません。
 まだ体調の回復していない夫は、実家の家業を手伝いながら、子育てをやって貰うことにして、私は保母として働くことにしました。
「済まんなあ、男の俺が、こんなザマで……」
 夫は私の前に頭を下げました。自信いっぱいに生きて来た夫に、今回のことは相当こたえたようです。夫の目は涙で光っていました。
 でも私は夫を信頼しきっていたのです。こんなことで落ち込んだままになってしまう夫ではないと確信を持っていました。
 「八年間、家族のために身を粉にして働いて来たんだから、神様が休めるようにしてくれたと思えば気が楽よ。しばらくは私が交代して頑張るから、早く体調を取り戻してね」
 夫は私の言葉に素直に頷きました。
 結婚する直前まで保母をやっていた私ですが、八年ぶりの現場復帰とあって、仕事のリズムを取り戻すまで、大変な苦労!朝六時半には家を出て夜九時過ぎに帰り着くという毎日も、相当身にこたえ、クタクタになる始末です。
「無理するなよ。身体こわしたら元も子もないからな。しんどかったら休んだらええ。収入が減ったかて、家族の心さえしっかりしとったら持ちこたえられるんや!」
 夫は私の足をさすってくれながら励ましてくれました。
「当たり前のことや。嫁はん働いとったら、亭主がその分カバーせな、夫婦やあらへん」
 それまでやったことのない家事と育児にてんてこまいしながらも弱音を見せまいとする夫の姿に、私はどれだけ励まされたことでしょう」
 先行きを考えると暗く落ち込みがちの私を明るくさせてくれたのは子どもたちです。すでに物事が分かりかけた長女と長男は、私の悪戦苦闘ぶりを見て、彼らなりの方法で手助けをしてくれました。それに「あれが欲しい!」「これが欲しい!」と困らせることなんか全くありません。親の苦境を目の前に、自然と我慢を覚えてくれたに違いありません。
「ごめんね、もう少し我慢してちょうだい。一生懸命頑張って、君たちの欲しいものを買えるようになるからね」私は子どもの顔を見るたびに、胸の中でそう繰り返していました。
 子どもたちには、父親が他のお父さんみたいに働けない理由も、ちゃんと話して聞かせました。
「お父さんは、今まで大変なお仕事してたんだから、少し休んで貰うんだよね」
 長男は進んで夫の手助けをするようになり、長女は洗濯物の片付けや赤ん坊の面倒を見るのが、自分の仕事なんだと思ってくれたので、夫の家事、育児の負担も少し軽くなったのです。それも、みんないい子を授かったおかげです。
「俺たちには勿体ない子どもたちだよ。あいつらのためにも頑張らなきゃな」
「うん!みんな揃ってれば頑張れるよ」
 私たち夫婦は決意を新たにしたのです。
 また夫の両親や兄弟のみんなに、手を差しのべて貰い、実家の畑で取れる野菜や米をよく頂きました。食べ盛りの子どもたちを抱えているので大助かりです。
「うちの息子の甲斐性がないで、嫁さんに迷惑ばっかりかけてしもうて申し訳あらへんが」
 顔をあわすたびに夫の両親は頭を下げられますが、夫婦が共に手を取り合って来た八年間の結果は、どちらの責任と極めつけられるものではありません。あえて言うなら夫婦ともに責任を負うべきものなのですから。
 この四月でようやく一年過ぎました。相変わらず貧乏な経済状態のままですが、長女が新一年生に、長男は幼稚園にと順調に育ちました。夫も再び体調を取り戻し、自分に合った仕事探しを始めました。わが家にも着実に春がやって来てくれている感じが強くします。
 私自身も臨時保母の契約が四月で切れ、(さて、どうしようかな?)と思いかけた矢先に、精薄児施設の保母の話が来ました。実はその仕事は若い頃からの夢だったのです。夫の励ましも受け、その仕事を引き受けることに決めました。
 私の夢とともに、わが家はもう一度浮上しようとしているのです。
(1991年2月掲載)

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