根日女昇天

播磨風土記3000年記念歴史小説
根日女昇天

 屋形の縁より眺めると、かなり大きい墳墓が築かれつつあるのが一目瞭然だった。
 墳墓を取り囲むように池が掘られている。賀茂の国の民人が総出で工事に取り組んでいる光景は壮観そのものだった。墳墓はもうすぐ、この辺りの河原を埋め尽くすなんとも見事な玉石で飾られることになっている。
(あれに葬られるのは、わしが先か、それとも……?)
 許朝(こま)は、雪のように白くなった髭に覆われた顔をさすりながら、目を宙に泳がせた。
 この播磨の一隅に位置する賀茂の国を支配する豪族の長、許麻はかなりな高齢だった。許麻と同じ頃に生を受けた国の民人らの大半は、既に神のお召しで昇天してしまっている。総ては逆らいようのない神の御意志である。おのれがここまで生き長らえてきたのも、神がそう望まれたに他ならぬと、許麻は考えている。
 肥沃な土地と温暖な気候に恵まれた賀茂の地で、民人はらの暮らしはかなり裕福で平穏だった。豊かな自然の恩恵を受けた賀茂の国力は、他国から羨望視されるほどだった。
 長の許麻が時代を見通す力と統率力を兼ね備えていたからだったが、当の本人は、賀茂の国の守り神と崇められた妻カナヒメや、その後を継いだ娘がいたればこそと思っていた。
 その妻は二十年も前に神に召された。そして、最愛の娘、根日女(ねひめ)は、いま寿命が尽きようとするほどの病臥に伏せっている。生死の峠を、もう幾度彷徨い続けてきただろうか。近頃はただ単に生き長らえているとしかいえなかった。
(大和の都は平定されたと聞いた。それでいて、余りにもあまりにも遅い。遅すぎるではないか。大和と賀茂の道程は、さほど遠いとも思えぬに……?)
 大和朝廷の大王がみまかい、その後継を争った族内抗争が勃発した。広がった戦火に多大なる血が流され崩壊寸前にまで至った都は、あの類いまれなる能力に秀でた兄弟皇子の奔走で、ついに平安を勝ち得たのだ。許麻がよく知るオケとヲケの兄弟皇子の待望はかなった。
 許麻が統治する賀茂の国は彼らの戦いに全面的な支援体制を敷いた。大和朝廷の平定は、地方の有力な豪族である許麻と、その一族の強力な支えがあったればこそ成し遂げられたんである。
(あの日、根日女は、あの貴きお方あの懇願に応じるべきであった。さすれば、あれは…根日女は今ごろおなごの幸せを手にしておったのだ。それを……!)
 許麻は複雑な思いに揺れながら静かに振り返った。その視線の先に、許麻が愛してやまぬ娘、根日女が病に伏す部屋があった。兄弟皇子に求愛されたあの頃の根日女からは想像もつかぬ、衰えを隠せぬまま、ただ死ぬる火を待つだけの、絶望的な、あまりにも悲惨な姿が眼前に浮かぶ。
 尋常の美しさではなかった。紙が与え給うた神秘に包まれたこの世の女人とは思えぬ存在だった。女は愛されることで本能が働き、より美しく変身するという。それが、一人の愛ではなく、二人の見目麗しい貴公子が同時に求愛したのである。大和の都の母にと望まれたのだ。根日女が女神の如く光り輝いて見えたのも、けだし無理からぬ話だった。
 根日女の幸福の極みは、ほんのつかの間に過ぎなかった。求愛した二人の貴公子は、実に仲がいい兄弟であり、彼らは暗殺された先の大和
の大王の忘れ形見だった。さだめは兄弟皇子を、追われた都に再び導いた。彼らは大和の国の民人のための戦に身を投じるために帰国しなければならなかった。根日女を連れ帰って、大王の妃にむかえる意思を通そうとした皇子らの望みは、はかなくも潰えた。
 根日女は賀茂の民人らに賀茂の太陽とも崇められる存在だった。その太陽を永遠に沈めるなど根日女は考えるだけでも耐えられなかった。愛に応えるべきか?賀茂の国に希望と夢を与え続けるべきか?二者択一を迫られる根日女の懊悩は想像を絶するものだった。根日女が出した答えは、賀茂の国の選択だった。
 オケヲケの皇子らの父を暗殺し、支配者の座に着き、わが世の春を謳歌していたいまの大王が崩御したのは、兄弟皇子がね日女に愛を披歴した日から半年を経た時だった。彼らが都に迎えられる悲願の時がやって来た!         (続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



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